一言芳談 一三二
一三二
又云、もし自力の心に住(ぢゆう)せば、一聲なほ自力なり。もし他力をたのまむは、聲々念々(しやうしやうねんねん)みな他力なり。
〇自力の心に、一念義の説に、往生は一念にきはまれり。多く申さんとするは自力念佛なりといへり。上人それをきこしめして、かく仰せられしなり。我力にて往生すと思はゞ、一遍も自力なり。たすけ給へと佛をたのむ心ならば、幾萬遍申すともいよいよ他力をかこつなり。
〇自力の心とは、諸宗の修行を云。淨土宗門に自他の兩門を立。しかも他力本願に歸す。自立他破、與奪抑揚はいづれの宗旨にも有べし。(句解)
[やぶちゃん注:「句解」注はⅡを参考にした。
「自力の心に住せば……」この法然の法語は、既に「三」で述べた一念義多念義という法然門下におこった念仏往生に関する論争を背景としている。弥陀の本願を信じる唯一度の念仏で往生出来るとする一念義と、往生には臨終まで可能な限り多くの念仏を唱える必要があるとする多念義の正邪論争で、前者は行空・幸西らにより、後者は多念義を主張した浄土宗長楽寺流流祖隆寛(久安四(一一四八)年~安貞元(一二二八)年)の主唱に基づくものである。一念義は法然の在世中から京都・北陸方面で信奉され、一念の信心決定に重きを置き、多念の念仏行を軽視、やがては否定した。しかしその結果、一念往生の主張を都合よくとって破戒造悪を厭わぬ反社会的行為に走る者も出(私は親鸞の思想はその極北をもつらまえていると思っている)、専修念仏弾圧の一因ともなった。これまでの条々と本条から見て、本「一言芳談」の筆者は多念義の流れを汲む浄土僧であると考えて間違いない。
但し――私は法然自身のこの言葉の意図は――一念義を否定し、多念義を否定する立場にあった――とは――実は思っていない。法然の謂わんとしたことは、単純に――その人の念の――魂の誠実さの――問題であったのだと私は思っているのである。――
さすればこそ、私は少し寂しい気がする。
この「一言芳談」はあらゆる浄土教の感懐の「るつぼ」であるべきであって、これが一見解としての多念義の是を補強増強する幟として俄然立ち上がって来ると、瞬く間に、書店に居並ぶビジネスマンの実用本や、まことしやかな経済本、『現世をより楽しく生きるための』(「よく」ではない)指南本へと堕っし去ると思うからである。それは死を希求し続けることによって生の存在を逆照射することを核とする本作の稀有の哲学を根底から覆すことになると私は思うからである。例えば前の「一三二」などは、そこだけを伐り出してしまえば、如何にもなアフォリズムではないか。私はこの言葉と同じようなものを、おぞましい小学生時代の「道徳」の授業の中で、鳥肌が立つ不快な響きとともに読まされ、説教された記憶がある。こういう法語が一人歩きを始める時、それは鮮やかに、ある思想や個人の勝手な解釈に晒され、利用され、国家のために個人を犠牲にすることや、他者を排撃し、押し退け、死に至らしめてでも自己欲求を追求せんとすることの正当化の方便に用いられてしまうのである。
そもそも私は、嘗て本条を読んだ瞬間、
又云、もし他力の心に住(ぢゆう)せば、一聲なほ他力なり。もし他力をたのまむ心の曇りて候はば、聲々念々(しやうしやうねんねん)なせども、これ、みな自力なり。
と法然は思っている、と思ったものである。
恐らく、この私の物言いは大方の御批判を受けるものであろう。しかし、ここで私は、私の中の「一言芳談」について語っているのである。アカデミックな見解でもなければ、私の著作を有料で買って戴いた訳でもない。不快ならば立ち去られるがよろしいし、また、御自分で独自のテクストを立ち上げられ、そこで私に反論なされるがよろしい。ともかくも今、そうした反対者と議論する私の精神上の余裕は、残念ながら、ない、とだけ述べておく。]