耳嚢 巻之六 賊術識貯金事
賊術識貯金事
和州郡山に粕屋某といへる富商ありて、時々京都へ往返(わうへん)して商賣の道を營(いとなみ)けるに、或年大晦日(おほみそか)に、京都より金子四五十兩財布に入(いれ)、懷中して、夜に入りぬれど、明日は元日なれば郡山へ歸らんと立出(たちいで)しが、山道人離(ひとばな)れなる場所故、心靜(しづか)ならざれば用心して歸りしに、右途中六部(ろくぶ)の大男道連れに成(なり)て、郡山近所迄同道せんと云(いひ)しが、何とやらん空恐しく思へども、いなまば却(かへつ)て災ひあらんと思ひて任其意(そのいにまかせ)ければ、彼(かの)六部申(まうし)けるは、御身は金子も餘程所持し給ふ、凡(およそ)何程懷中ありしと見へたりといへる故、彌怖敷(いよいよおそろしく)、震ふ計(ばかり)をこらへて相應に答へけるに、彼六部申けるは、さのみ恐れ給ひそ、某(それがし)元は何を隱さん、盜賊なりしが、其罪業を恐れてかく六部とはなりぬ、夫(それ)に付(つき)、御身に申(まうす)べき事あり、金子を財布に入(いれ)、左の懷(ふところ)の方(かた)へ入(いれ)給ふ、左(さ)あるべしと尋し故、搜り見れば果して彼(かれ)が申(まうす)ごとくなり。都(すべ)て盜賊の、往來の懷中を察するに、其歩行振(そのあるきぶり)等にて何程(いかほど)あるべきという事は察し知るなり。依之以來(これによつていらい)とも必(かならず)金子懷中いたし侯はゞ、其心得あるべき事也と、教示しけるよし。扨々怖敷(さてさておそろしき)事なりしと、彼(かの)柏屋手代(てだい)、咄しけるとなり。
□やぶちゃん注
○前項連関:上方の事実譚として軽く連関。
・「賊術識貯金事」標題は「賊術、貯金を識る事」と読む。
・「和州郡山」現在の奈良県郡山市。
・「六部」六十六部の略。法華経を六十六回書写して、一部ずつを六十六か所の霊場に納めて歩いた巡礼者、回国聖。室町時代に始まるとされるが、江戸時代には多くが零落し、仏像を入れた厨子を背負って鉦や鈴を鳴らしては米銭を請い歩いた、一種の僧形のホカイビト(乞食)ともなった。
・「いう事は」はママ。
■やぶちゃん現代語訳
往来の旅人の所持金を探り当てる盗賊の巧みな術(じゅつ)についての事
大和国郡山に柏屋某(なにがし)と申す富商(ふしょう)が御座った。
しばしば京都と郡山を往復致すような、商売を営んで御座ったと申す。
ある年の大晦日のこと、京都より金子四、五十両を財布に入れ、懐中致いて、帰りは夜に入(い)って御座ったれど、
「……明日は元日なれば、郡山へは是非とも帰りたいものじゃ。……」
と、出立(しゅったつ)致いたと申す。
山道にて人気(ひとけ)無き街道なればこそ、心穏やかにてはおられず、用心致いて帰ったと申す。
ところが、途中にて、六部(ろくぶ)の大男が、これ、かの手代の道連れとなって、
「――郡山近所まで――我ら――同道致さんと存ずる。――」
と申し出た。
何とも言えず、そら恐しゅう思うたものの、
『……これ……否まば……却って……直ちに災いのあろうような気も致さばこそ……』
と思い、その申し出のままに、同道致すことと相い成って御座った。
さて、暫く無言で山道を辿ったところ、かの六部、手代に、
「……御身は……金子も余程、所持していなさるようじゃの。……およそ四、五十両程、懐中にしておらるると、見た。――」
と言うたによって、手代、これ、いよいよ怖しゅうなって、体がぶるぶると震えださんばかりになるを、必死で堪(こら)えつつ、適当に返事を致いて御座ったと申す。
すると、かの六部の申すことには、
「……まあ、そんなに恐れなさるな。……某(それがし)、確かに元は、何を隠さん、盜賊で御座った――が――今はその罪業を恐れ、かくも六十六部とは、なって御座る。――さればこそ――御身に申しておきたきことが、これ、御座るのじゃ。……
――四、五十両見当の金子……
――これを財布に入れて……
――左の懐(ふところ)の方(かた)へ……
――入れていなさる……
……そうで御座ろう?――」
と尋ねたゆえ――あまりの恐ろしさに、懐の中がどうなって御座ったやら、ようも分からずなっておったゆえに――掻い探って見たところが――これ……
――果してかの六部の申す通り……
――金子の入った財布は――これ――懐の左側に――移って御座った。
「……すべて――盜賊が往来を行き来する者の、その懐中を察する場合は――その歩き振り等の妙な癖や、僅かな変り様を見極め――何程(いかほど)の金子を――どの辺りに所持致いておるか――ということ――これ、容易に察し知るもので御座る。……さればこそ……御身、向後は……必ずや――特に大枚の金子を懐中致いておらるる際には――これ、そうした心得を、十全になさって、立ち居振る舞いを致すが、これ、肝要で、御座る。……」
と、教示し呉れたと申す。
「……さてもさても、これ、怖しき体験で御座った。……」
とは、かの柏屋の、その手代自身が語ったことと聴いて御座る。