沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 30
九代の跡といふをみて、
みてそけふおもひあはする麻はなく 心のまゝのあとの蓬生
新勅撰に入とやらん歌に、
世中に麻はあとなく成にけり 心のまゝの蓬のみして
とあるを今おもひ出てなり。又、
麻はなく蓬とよみしことのはや わか世の後をかねていひけむ
同じき歌の心ばへ也。あれなる岡邊こそは文覺上人の遺跡なれと、あない賴し人の申せば、よそながらみて、
かくといかてすむ世におもひ岡へなる 一むらすゝきあはれとそみる
有文覺遺跡 只不見其人 遮眼霜餘草 斷根水上蘋
懷今復懷古 觀世更觀身 四百年前事 于時感慨新
[やぶちゃん注:「九代の跡」幕府滅亡後に足利尊氏が北条高時の菩提を弔うために旧高時邸のあった場所に宝戒寺を建立したが、その宝戒寺自体か、若しくはそこにある北条得宗家九代に当たる高時を祀った祠である得宗権現社を指しているものと思われる。
「新勅撰に入とやらん歌に……」この和歌は文暦二(一二三五)年に完成した、十三代集最初の歌集「新勅撰和歌集」に「題しらず」で載る、北条泰時の和歌である。
世の中に麻(あさ)はあとなくなりにけり心のままの蓬(よもぎ)のみして
――世の中には真っ直ぐに立って生える麻のように真っ直ぐな心の人はすっかりいなくなってしまったことだ……今や、心の恣ままに、捩じくれてしか生えぬ蓬のような輩ばかりとなって――
この歌は「荀子」の「勧学篇」にある、「蓬生麻中、不扶而自直。」(蓬も麻の中に生ずれば、扶(たす)けざるも直(なほ)し。)に基づくから、圧倒的多数の「蓬」化、愚鈍劣化を歎くのではなく、矯正指導が必要な「蓬」を正しく導き教導して呉れるはずの「麻」のような教師、自戒を十全に含んだ理想的君子が絶えたことを歎くことが主意である。
「文覺上人の遺跡」現在の金沢街道の鎌倉宮に向かう分岐の「岐れ路」を一〇〇メートル程金沢方向へ向かったところで右折、滑川を渡る大御堂橋の先の丘の下辺りを文覚屋敷と伝える。
「有文覺遺跡……」以下の漢詩を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。
文覺の遺跡有り
只だ其の人を見ず
眼を遮る 霜餘(さうよ)の草(さう)
根を斷つ 水上の蘋(ひん)
今を懷ひ 復た古へを懷ひ
世を觀じ 更に身を觀ず
四百年前(ぜん)の事
時に感慨 新たなり
「蘋」は浮草。]

