耳嚢 巻之六 猥に奇藥を用間敷事
猥に奇藥を用間敷事
肩のつよくはりて難儀する時、白なたまめを粉にして、かたへ張る時は、立(たち)どころに癒(いゆ)るといふ事あり。人の性(しやう)にも可寄哉(よるべきや)、川尻甚五郎、右藥を用ひて大いになやみしとなり。かた斗りにも無之(これなく)、面部惣身(そうみ)まで脹れて、ぶつぶつと出來(でき)ものなど出來(でき)、後は惣身の皮むけて甚(はなはだ)難儀せしと語りぬ。猥(みだり)に奇藥ときゝても、用るに用捨あるべき事なり。
□やぶちゃん注
○前項連関:感じさせない。本巻に多い民間療法シリーズであるが、これは例外的に副作用を注意喚起した記事である。
・「猥に奇藥を用間敷事」は「みだりにきやくをもちゐまじきこと」と読む。
・「白なたまめ」バラ亜綱マメ目マメ科ナタマメ
Canavalia gladiate の品種シロナタマメCanavalia gladiate forma alba。鉈豆・刀豆・帯刀などとも書く。食用であるシロナタマメの種子には毒性はないが、農林水産省等によれば、ナタマメの完熟した種子はものによって溶血作用のあるサポニンや青酸配糖体、有毒性アミノ酸のカナバリンやコンカナバリンAなどに由来する有毒な物質が含まれるとする一方、漢方では古くから腎臓機能改善(東洋医学では臓器に似た形ものが臓器を補うとする考え方があり、ナタマメが腎臓の形に似ていることに由来する)・認知症防止・尿素浄化作用があるとし、コンカナバリンAは免疫力を高める作用もあり、ナタマメ・エキスを歯周病に効果的として用いている歯科医の記載もある。その他、漢方系記載には蓄膿症・痔等の化膿性疾患、口内炎・扁桃腺や咽頭部の炎症、冷え症・肩こり・生理痛など冷えの症状、便秘・下痢から皮膚湿疹・アトピーまでの効用を記すが、川尻氏の例もあればこそ、注意が必要であろう。この川尻氏のケースはシロナタマメではない比較的毒性の強い他のナタマメであった可能性、若しくは川尻氏が特異的にシロナタマメに含まれる何らかの成分に対して、非常に強いアレルギー体質であった可能性も疑われる。
・「川尻甚五郎」川尻春之(はるの)。先の「古佛畫の事」の私の注を参照のこと。寛政七(一七九五)年に大和国の五條代官所が設置され、彼はその初代代官に就任している。その在任期間は寛政七年から享和二(一八〇二)年である。
■やぶちゃん現代語訳
濫りに奇薬を用いてはならぬ事
肩が強く張って難儀する折りには、白鉈豆(しろなたまめ)を粉に致いて、肩へ貼れば、たちどころに軽癒すると聞いては御座る。
しかしながら、これは人の性(しょう)にもよるものであるものか、川尻甚五郎春之(はるの)殿、この白鉈豆を調剤して用いたところが、これ、腫れが生じて、ひどい目に遇われた由。
「……いや、もう、貼付(とふ)致いたところの肩だけでは、これなく、顔面から全身に至るまで、腫れが広がって御座って。……尚お且つ、そこたらじゅうに、これ、ぶつぶつ、ぶつぶつと、気味(きび)悪きできものまで出来(しゅったい)致いての。……さて、やっと腫れが収まったか、と思うたところが、……今度は、全身、これ、皮が剥けて。……いやぁ! どうもこうも、御座らんだて。……」
と話されて御座った。
さても、奇薬と聴いても、これ濫りに用いるは、よくよく用心あるべきことにては御座る。

