沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 18
開山塔西來院は此山のかげなり。惣門に嵩山といふ額あり。佛光禪師の筆也。方丈あり。庫院あり。照堂には圓鑑といふ額あり。圓鑑と打たる額にゆへあり。開山隨身の鑑あり、入滅のきはに是を志ふかき隨時の僧に授給ふ。開山入滅の後、時賴、師をしたひ給ひ愁嘆なのめならず。ある夜師、夢に時賴にむかひての給はく、わが在世隨身の鑑をしかじかの僧に授ぬ。われをしたふ心あらば此鑑を見給へ。其鑑にわがすがたをのこすなりとしめし給ふ。夜明て不思議のおもひをなし、しかじかの名ついたる僧やあると尋給ひければ、さ候と申。鑑や持たるとゝひ給へば、夢のうちの師のしめしにたがはず。さらばそのかゞみをとて取りあげ、時賴つねに此鑑を見給ひて師をしたひ給ふ。鑑の金をみがきたるに、觀音の像とみへたる金の紋あり。是をわがすがたを鑑に殘すと師のしめし給へば、實に師は大悲の示現ありて辟支佛の身をあらはし、世を救ひ給ふなるべし。時賴薨じ給ひて後開山塔に籠給ふ。さてこそ圓鑑と額をかきたると寺僧語られし。鑑の體は爐形なるが爐のまるみを鑑の面に見せてみがきたる金の故に大悲のすがたほのかにあり、とを目に見るごとく也。
[やぶちゃん注:「圓鑑」(「えんかん」と読む)については「新編鎌倉志巻之三」の「建長寺」の寺宝の項の冒頭にある「圓鑑」に図像を含む厖大な資料がある。未見の方は、是非、お読みになられることをお薦めする。「時賴」は時宗の誤り。
「辟支佛」「びやくしぶつ(びゃくしぶつ)」と読む。縁覚(えんがく)のこと。師無くして独自に悟りを開いた人を言う。サンスクリット語の漢訳。独覚とも。十二因縁を観じて理法を悟り、あるいは様々な外縁に拠って悟る故に縁覚と言うとする。]
« 耳嚢 巻之六 豺狼又義氣有事 | トップページ | 北條九代記 千葉介阿靜房安念を召捕る 付 謀叛人白状 竝 和田義盛叛逆滅亡 〈和田合戦Ⅲ 和田義盛死す〉 ~了 »