初夏景物 萩原朔太郎 (「初夏の印象」初出形)
初夏景物
昆蟲の血の流れしみ、
ものみな精液をつくすにより、
この地上はあかるく、
女(おんな)の白き指よりして、
金貨はわが手にすべり落つ。
時しも五月のはじめつかた、
幼樹は街路に泳ぎいで、
ぴよぴよと芽生は萌えづるぞ。
みよ風景はいみじく流れきたり、
靑空にくつきりと浮びあがりて、
われひとゝ、
あきらかにしんに交歡す。
[やぶちゃん注:『創作』第四巻第六号・大正三(一九一四)年六月号掲載された。十一年後の「純情小曲集」(大正一四(一九二五)年八月新潮社刊)に「初夏の印象」と題を変えて所収されたものの初出である。「おんな」のルビはママ。なお、この詩は底本第二巻に所収する「習作集(哀憐詩篇ノート)」(「習作集第八巻」「習作集第九巻」と題されて残された自筆ノート分)の「習作集第八巻(一九一四、四)」に以下の標題(但し、この副題と添えた一節のように見えるものは、編者によって本「五月上旬」という本詩を更に「初夏景物」という題で同じ原稿の詩の下に改稿しようとしたものの中絶した三行と推定されるという主旨の補注がある。妥当であろう)と詩形・クレジットで所収している。
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五月上旬 初夏景物
昆蟲白き血の流れしみ
ものみな精液をつくすにより
地上はあかるく精
昆蟲の白き血の
精液の地上に流れしみ
地上はみなあかるく
おみなの白き指よりし
金貨はわが手にすべり落つ、
時しも五月のはじめつかた
幼樹は街路に泳ぎいで
ぴよぴよと芽生は光るぞ(萌えづるぞ)
靑空にくつきりと浮び■■あがりて、
我れひとゝ、しんにあきらかに交歡なす、
(一九一四、四、一一)
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「おみな」はママ。抹消された「光るぞ」の後の「(萌えづるぞ)」の丸括弧は朔太郎自身による。「■■」は二字末梢で原字の判読不能であることを示した。
私はこちらのポジティヴな総天然色のリアルなコーダこそがこの詩の本当の詩想だったと思う。しかし……朔太郎は詩集に採録するに際して、もしかすると……もうその時には、朔太郎の心の映像としての、そのクライマックス・シーンは……既にして悲劇的で突き放した絶対の孤独のモノクロームのそれに……最早、すっかり色あせて変色していたのだ……とも言えるのかも知れない。いや……こんな私の評なんぞ、ちゃんちゃらおかしい……だって……かく書いている私だって……私の十一年前の私自身の記事の感懐を……これ、最早、まるで理解出来なくなっていることがあるのだから……]