栂尾明恵上人伝記 15 二十四歳――自ら自身の右耳を切り落とす
上人或る時宣べ給はく、彼の優波毯多(うばきくた)の證智(しようち)は法身(ほつしん)を見るといへども、百歳以後の出世(しゆつせ)、尚生身)しやうしん)を拜せざる恨(うらみ)あり。況や滅後數百歳の後、邊地末法(へんちまつはふ)の世に生れて、在世の眞容(しんよう)をも拜し奉らず、四辨(しべん)の御法(みのり)をも聞かず。又賢聖向果(げんじやうかうか)の道をも耳の外に聞き、西天處々(さいてんしよしよ)の遺跡(ゆゐせき)も是を拜する思ひを絶てり。悲しいかな、我等只春來れば花に戲れ、秋を迎へては果(このみ)を翫ぶ。明暮(あけくれ)心に浮かぶことゝては、財欲・色欲・法欲にのみ埋(うづ)もれて、いかやうに搖(うご)き働くとうふことをも知らず。只物うち食ひては睡る計りをことゝして、他の非(ひ)・他の失(しつ)をのみ心に思ひ、口にのべ、戲笑謟曲(びせうてんごく)極りなし。年月はかはるかはる變ずれども、此の理をば改めず、飽くまで此を笑み、恣に是を食する、是を以て比(くら)ぶるに、我等が第八識雜染種(だいはちしきざふせんしゆ)の中には、只生死有漏(しようしうろ)の中の衣食等の增上業(ぞうじやうごふ)の種子(しゆうじ)をのみ裹(つゝ)めり。然れば其の感ずる所は、只世間の五欲の味をのみ貪る。更に無漏新薰(むろしんぐん)の種なし。あぢきなきかなや、恥(あづか)しきかなや、前世愚にして、三十二相の華(はな)の姿を拜する春も來らず、三菩提(さんぼだい)の果(このみ)を結ぶ秋をも迎へず、此の恨みを思ふに、胸を裂くが如し。何の味あればか、人間に有りて世樂(せらく)に誇らんや。如來最後入寂(にふめつ)の中夜(ちゆうや)に遺誠(ゆゐかい)を垂れて日はく、汝等比丘(なんだちびく)、まさに自ら頭(かふべ)を摩(な)づべし。巳に飾好(しきかう)を捨てゝ壞色(ゑじき)の衣を著す云々と。馬鳴論師(めみやうろんじ)、此の文を釋し給ふに、上々尊勝處(しやうしやうそんしようしよ)。最先(まつさき)に折伏(しやくぶく)す。故に應に自ら故(ゆゑ)を知るべしと云へるなり。又自ら無量(むりやう)の勝心(しようしん)の成就することを示現(しげん)して、身心の行を輕賤(けいせん)するが故に、貴高の煩惱の心を遠離(をんり)するが故にといへり。汝等憍心(きやうしん)忽に起らば、自頭(じとう)をさぐり、壞色の衣を着したる理を思はゞ、貴高の憍心自ら治せられんことを宣(の)べ給へり。然るにたまたま頭(かうべ)を剃(そ)れども、彌々(いよいよ)其の頭のきらめけるを快くし、法衣を着せるも、倍々(ますます)壞色のてれるにほこる。拙きかなや、道の爲に身をやつさば、眼をもくじり、鼻をもきり、耳をもそぎ、手足をも斷(た)ち盡すべし。然れども彼は凡身(ぼんしん)の堪ふべき處に非ざれば、先づ上々尊勝莊嚴(しやうごん)の鬢髮(しゆほつ)を落して、志を潔くせん事を授け給ヘり。然るに巳に藥を服して病を發す、聖術(しやうじゆつ)爰に盡きたり。此の如きの衆生、法理に疎く、我等如來の本意に背ける事を思ひ續くれば、髮を剃れる頭も其の驗(しるし)とするにたらず。法衣を着せる形も其の甲斐更になし。其の心抑へ難きに依つて、彌々形をやつして人間を辭し、志を堅くして如來の跡(あと)を踏まんことを思ふ。然るに、眼をくじらば、聖教を見ざる歎(なげき)あり。鼻を切らば則ち、涕洟(ていい)垂りて聖教を汚(けが)さん。手を切ちば印を結ばんに煩ひあらん。耳は切ると云へども、聞えざるべきに非ず。然れども五根(ごこん)の闕(か)けたるに似たり。されども、片輪者(かたわもの)にならずば、猶人の崇敬(そうけい)に妖(ばか)されて、思はざる外に心弱き身なれば、出世もしつべし。左樣にてはおぼろげの方便をからずば、一定(いちぢやう)損をとりぬべし。片輪者とて人も目を懸けず、身も憚りて指出(さしい)でずんば、自らよかりぬべしと思うて、志を堅くして、佛眼(ぶつげん)如來の御前にして、念誦の次でに、自ら剃刀を取つて右の耳を切る。餘りて走り散る血、本尊竝に佛具聖教等に懸り、其血本所に未だ失せずと云云。其の夜の夢に、一人の梵僧來りて告げて云はく、我は是れ三世の諸佛の因位(いんゐ)の萬行(まんぎやう)、頭目手足を法の爲に惜(をし)まざる所作(しよさ)を記する者なりとて、筆を執りて、一册の書の奧に注しぬ。
又其の翌日に華嚴經第二十五〔六十經也〕を披(ひら)くに、如來、他化自在天王宮たけじざいてんのうきう)摩尼寶藏殿(まにほうざうでん)の上にましくて、無量不可思議(むりやうふかしぎ)の大菩薩衆と倶(とも)に、十地の法門を説き給へることを見るに、誠に氣高くいみじく覺えて浦山敷(うあらやまし)きまゝに、此の經文を讀み續けたれば、我も其衆中に交はり列(つらな)れる心地して、悲しみの涙を拭ひ、耳の痛さを忍びて、泣々聲を上げて、「大方廣佛華嚴經(ただいはうくわうぶつけごんきやう)十地品(ぼん)第二十二の一、
爾時、世尊在他化自在天王宮、摩尼寶殿上、與大菩薩衆倶、於阿耨多羅三藐三菩提、皆不退轉、(乃至)其名曰金剛藏菩薩・寶藏菩薩・蓮華藏菩薩・(乃至)如來藏菩薩・佛德藏菩薩・解脱月菩薩、如是等、菩薩摩訶薩、無量無邊不可思議不可稱説、金剛藏菩薩而爲上首云々。
[やぶちゃん注:底本の訓点に従って書き下したものを以下に示す。一部に私の判断で送り仮名を補ってある。句読点も適宜、変更した。
爾時(そのとき)、世尊他化自在天王宮、摩尼寶殿上に在り、大菩薩衆と倶なりき。阿耨多羅(あのくたら)三藐三菩提(みやくさんぼだい)に於て、皆退轉せず、(乃至)其の名を金剛藏菩薩・寶藏菩薩・蓮華藏菩薩・(乃至)如來藏菩薩・佛德藏菩薩・解脱月菩薩と曰ふ。是くのごとき等、菩薩摩訶薩、無量無邊不可思議不可稱説なり。金剛藏菩薩を而かも上首と爲すと云々。]
是の如く誦(じゆ)し連(つら)ぬれば、他化會上(たけゑじやう)の莊嚴眼前に浮び、在世説法(ざいせせつぱう)の慈顏(じがん)、したしく拜し奉る心地せり。仍て悲喜の涙を拭ひ、本尊をまほり奉り、聲を勵して經を誦する處に、眼の上忽に光り耀(かゞや)けり。目を擧げて見るに、虛空(こくう)に浮かびて現(げん)に文殊師利菩薩(もんじゆしりぼさつ)身(み)金色(こんじき)にして、金獅子に乘じて影向(やうがう)し給へり。其の御長(たけ)三尺許なり。光明赫奕(かくやく)たり。良(やゝ)久くして失せぬ。仍て彌々其の志を勵して、他事なく一心に佛心を悟らんことを祈請(きせい)す。上人極めて柔和(にうわ)正直におはしましゝかば、柔和質直者(にうわしつぢきしや)、即皆見我身(そくかいけんがしん)といふ文も思ひしられたり。