耳嚢 巻之六 長壽は食に不飽事
長壽は食に不飽事
予七旬に近く、近頃三時の喰(くひ)も程を不過(すぎず)、不足(たらず)に喰ひぬるに、何となく心持よかりしを、同齡同志みな同じ事に云(いひ)て、食事は若きとても猥(みだ)りに飽(あく)まで貪るは、いましむべき事と申(まうし)あひしに、御鷹匠頭(おたかしやうがしら)戸田五助語りけるは、都(すべ)て鳥の類料理するに、何れの鳥も餌袋(ゑぶくろ)充滿せり、鶴に限りては、或は六七分目、餌袋に餌あり、滿溢(まんいつ)のことなし、鳥の内、鶴は諺にも千年の壽と申傳(まうしつた)へば、いづれ餘鳥(よてう)より長齡のものなり、その減食の謂(いはれ)もありや、過食は厭ふべきと、其座の人々申(まうし)あへりき。
□やぶちゃん注
○前項連関:特に感じさせない。根岸自身の私的な謂いから語り出すのは、比較的、珍しい。……糖尿病の悪化の一途を辿っておる小生には至って痛い話しで御座る。……
・「予七旬に近く」根岸の生年は元文二(一七三七)年であるから、「卷之六」の執筆推定下限の文化元(一八〇四)年には数え六十八歳。
・「御鷹匠頭」御捉飼場(おとらえかいば:鷹匠が鷹を調教する地。)の管理の他に鷹の飼育所である御鷹部屋を管理した職名。個人サイト水喜習平氏の「江戸と座敷鷹」の「鷹場制度」の記載に、『御鷹部屋は二箇所あった。戸田家が管理する千駄木御鷹部屋と、内山家が管理する雑司ヶ谷御鷹部屋。戸田家は幕末を宇都宮藩主で迎える譜代大名戸田家の同族で秀忠・家光に鷹匠頭として仕えた戸田貞吉を祖としており、禄高は』一五〇〇石で、とあり、『鷹匠頭の下に享保元年に設置された鷹匠組頭があり、役高』二五〇俵、とある。
・「戸田五助」底本鈴木氏及び岩波版長谷川氏ともに戸田五介勝英(ごすけかつてる)とする。寛政三(一七九一)年に御鷹匠組頭、同八年に遺跡一五〇〇石を相続、と鈴木氏にあり、水喜氏の記載に一致する。
・「餌袋」通常は動物の胃のことを言うが、ここは鳥であるから内部に消化を助けるための砂礫が見られる砂嚢、所謂、砂肝(すなぎも)・砂ずりを指している可能性が高いか。
■やぶちゃん現代語訳
長寿は飽食せざるを良しとする事
私は七十歳に近く、近頃では三食の食にも程を過ぎぬよう、また足らぬように、と食うて御座るが、これ、何とのう心持ちもよくある由、ある折りの談話にて申したところが、同齢の同志、これ、皆、同じことを申し、
「――いや、まっこと、食事は若いからと言うて、濫(みだ)りに飽くまで貪るは、これ、戒めねばならぬことで御座る。」
なんどと話し合(お)うて御座ったところ、その場にあった御鷹匠頭(おたかしょうがしら)の戸田五助勝英(かつてる)殿が語られたことに、
「――すべて鳥の類を料理致すに、いずれの鳥にても、餌袋は、これ、充満致いて御座る。……ところが、鶴に限っては、あるいは六、七分目ほどしか、餌袋に餌は御座らず、満溢(まんいつ)しておるということは、これ、まず、御座ない。鳥のうち、鶴は諺にても『鶴は千年』と申し伝えて御座れば、いずれ、他の鳥よりも長命のものにて御座る。――さればこそ、その食を減ずることの謂われも、これ、御座るものか。……ともかくも、確かに過食はこれ、厭うに若くは御座るまい。」
と申したによって、その座の人々も、肯んじて御座った。