沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 14
やどりは瑞垣ちかき所なり。暮がたより社頭にぎやか也。いかにとゝへば、けふは霜月に入て卯日也、神拜あるよし聞ゆ。幸也とて夜に入て社參す。拜殿には神樂はじまり五人のおのこ・八乙女戸拍子の聲松にひゞき笛鼓のをと肝に銘ず。宮々の御燈のかげほのかにして社參の人々の足音ばかりは聞えて其人はさだかにみえず。燈ちかくなれば袖の行かひ色めくあり樣、よるの神事程殊にすぐれたるはなし。石のきざはしたかくのぼりて、本社に詣ければ、神主着座あり。伶人左右になみ居たり。御器めぐり三獻過て樂はじまり、左座より伶人出てまふ。八音のひゞき内陣も感動し、鶴岡の松の風千とせの聲をそへ、鎌倉山も萬歳とよばふ。
[やぶちゃん注:この偶然の夜の神楽のシークエンスも、とてもよい。篝火の舞殿から上の宮での舞と神事の映像と、そこに流れる楽の音(ね)のSE(効果音)が素晴らしいではないか。
「五人のおのこ」これは、直前に「神樂はじまり」とあるから、副神官ではなく、所謂、江戸時代の祭り囃子である「五人囃子」の笛・鉦(かね)・締め太鼓二つ・大太鼓の五つの楽器で行う合奏、特にこの八乙女舞神楽の楽人(がくにん)であろう。続いて出る正式な「伶人(れいじん)」(雅楽の奏者)とは異なる(と私は考える)。
「八乙女」「やおとめ」と読む。主に神楽や舞(巫女神楽・巫女舞)を以って神事に奉仕する八人の巫女のこと。参照したウィキの「八乙女」によれば、人数が八人に定まったのは『後世の事であり、古くは「八」の字は複数あるいは多くという意味で使われていたもので、神霊を扱う神聖な処女の意味があったと言われている。また、巫女の群遊の場合には「七」という数字が用いられる事例がある(『古事記』高佐士野の説話など)』。『古代の景行天皇の大嘗祭の際に天皇と神々に食事を奉仕した巫女に由来するとされている。後には神祇官において卜定められた采女がこうした任務にあたった。この影響を受けて他の神社においても同様の役目の巫女が置かれ、更には神事にも関わるようになったとされている』とある。
「三獻」は「さんこん」と読み、通常の固有名詞としては、正式な饗宴での儀礼的酒宴の作法で、肴(さかな)の膳を出して酒を三度進めることを一献と数え、初献・二献・三献と膳を替えて三回繰り返すことを言う(平安期から見られるが、次第に様式が整えられて室町期には「式三献」の語が用いられるようになった。現在の神前式や仏前式の婚礼で行う三三九度のルーツである。因みに主に初献の肴としては雑煮を用いたが、これが正月の祝い膳での雑煮の名残とされる)が(以上は講談社「和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典」の記載に拠る)、ここでは所謂、神前に饌した神膳を神官が食すところの神人共食の儀式を言っているように思われる。
「八音」は「はちおん」で、本来は八種の楽器を表す語で、古代中国では楽器は金・石・糸・竹・匏(ふくべ)・土・革・木の八種類の素材から作られると考えられて区分されていたことに拠る。参照したウィキの「八音」によれば、金は金属で作った楽器で青銅を使った編鐘(へんしょう)・鉄板を使った方響(ほうきょう)・銅鑼(どら)などを指し、石は石で作った楽器で磬(けい)と呼ばれる種類を、糸は絹の糸を張った琴・箏・瑟・琵琶・阮咸(げんかん)・箜篌(くご)などの弦楽器を、竹は竹製楽器で笛などの管楽器を、ヒョウタン・ユウガオなどを素材として作った匏は笙(しょう)などを、土は土を焼成して作った土笛などの陶製楽器を、革は牛などの獣類の革を張った鼓類を、そして木は木製の拍板(はくばん:中国の伝統的打楽器で数片の硬材や竹片からなり、相互に打ち鳴らし音を出す。)などを指す。但し、ここは妙なる神楽の妙音を言っているのであろう。]