躁忙 大手拓次
躁忙
ひややかな火のほとりをとぶ蟲のやうに
くるくるといらだち、をののき、おびえつつ、さわがしい私(わたし)よ
野をかける仔牛(こうし)のおどろき、
あかくもえあがる雲の眞下(ました)に慟哭をつつんでかける毛なみのうつくしい仔牛(こうし)のむれ。
鉤(はり)を産(う)む風は輝く寶石のごとく私(わたし)をおさへてうごかさない。
底のない、幽谷の闇の曙(あけぼの)にめざめて偉大なる茫漠の胞衣(えな)をむかへる。
つよい海風のやうに烈しい身づくろひした接吻をのぞんでも、
すべて手だてなきものは欺騙者の香餌である。
わたしの躁忙は海の底に
さわがしい太鼓をならしてゐる。
[やぶちゃん注:「躁忙」は「そうばう(そうぼう)」で「怱忙」と同義であろう。忙しくて落ち着かないことを言う。「欺騙者」は「きへんしや(きへんしゃ)」と読み、「欺騙」は「欺瞞」と同義で、欺(あざむ)き騙(だま)す者。]