一言芳談 一四一
一四一
乘願上人云、佛法には、德をかくす事をば、よき事にいひたれども、外(ほか)に愚を現ずれば、又、懈怠(けだい)になる失あり。たとへば、道場へは入らずして、寢所(ねどころ)にゐて、念佛せんとするほどに、しばらくこそあれ、ねぶりならへる所なるがゆゑに、のちにはやがて、ねいるがごとし。されば凡夫は、とにかくに、すすまじとするを、すすめんために、助業(じよごふ)は大切(たいせつ)なり。
○乘願上人云、此詞また肝要なり。前に人目に立つ事をいましめらるる言多けれども、あまりに人目をしのび、世にしたがひすぐれば、眞實の懈怠者になるなり。過不及(くわふきふ)の間をはからふべし。
○助業、念佛のものうき時、たすけすゝむるわざを助業といふなり。經をよみ、佛を觀じ、禮拜をし、六時禮讚などをつとむる事なり。
[やぶちゃん注:この条は想像通り、「一四〇」の如何にもな附帯条であって、「一言芳談」には不要な一条であると私は断じて憚らない。称名以外の必然性を説くこれは、鮮やかに教団組織化という俗化変質への敷衍を正当化して支持するものだからである。私は敢えてⅡの大橋俊雄氏の訳をここに全文示しおきたい。私は私の訳を、この条に限って全くしたいと思わないからである。
《引用開始》
仏の教えには、徳はおもてに出さず、秘かにおこなうのがよい(陰徳)とされているが、ことさらに愚か者のように振舞えば、かえって、それが身につき、仏道の修行をなおざりにするようになってしまう。
喩えていえば、道場に入らず、寝所で念仏しようと思っていたものの、それは初めばかりで、しばらくすると、そこは眠る場所であるため、やがて、寝てしまうようなものです。
それゆえ、凡夫はそれはさておき、念仏がなおざりになりがちなのを、そうならないためにも、念仏以外の他のつとめをすることも大切なのです。
《引用終了》
――私は眠くなったら寝る。――少なくとも私は寝ながら念仏をすることは出来ない。―私が念仏者なら(間違えては困るが、これをテクスト化している私は無神論者であり、如何なる神も仏も信じてはいない)起きている間だけしか念仏は出来ない。――それを法然は正しいと言うであろう。――いや――何より――何も考えずに眠っていることは、これといった徳を積んでいる訳ではないけれども、悪しきところもない――と明禅法印も言っているのである(「十六」)。……
「助業」浄土門では往生を可能にするところの読誦(どくじゅ)・観察・礼拝・称名・讚歎供養(さんたんくよう)の五つを正行(しょうぎょう)と呼ぶが、その中でも称名を特に正定業(しょうじょうごう)とし、その他の四種の行為を助業と呼ぶ。]

