人工による靈感 萩原朔太郎
人工による靈感
詩は靈感なしに作れない。しかも靈感は偶然であり、氣紛れの時にしかやつて來ない。ところでこの偶然を必然にし、人爲的に靈感を呼ぶ方法は――すくなくとも私の經驗によつて――ただ一つしかない。日常の生活樣式を變化させ、不眠、絶食、過勞、暴飮暴食、房事過度等によつて、肉體神經を衰弱させ、意識を變則的(アブノーマル)の狀態に導くのである。(實際に多くの詩人は、さうしたヒステリイ的狀態に於てのみ創作してゐる。)しかしもつと自然的な方法は、實生活上の烈しい打撃――失意や失戀など――によつて、精神を極度に痛め傷けることから、同じヒステリイの狀態になることである。だが我々は、求めてそんな苦勞してまで、詩を作る必要はどこにもないのだ。
[やぶちゃん注:昭和一五(一九四〇)年創元社刊のアフォリズム集「港にて」の冒頭パート「詩と文學 1 詩――詩人」の十九番目、先に示した「無能者のエゴイズム」の直後に配されたものである。下線「必要」は底本では傍点「◎」。朔太郎は詩の霊感は自然に生まれるもののみが真であると言いたいのである。否、人工的なアブノーマルな状態に自己を堕しめ、作為として「作る」詩は詩ではない、そうしなければ詩を書けない詩人は詩人ではないと言っているのであろう。確かに私も、そう、思う。]

