明恵上人夢記 5
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一、建久七年春の比、法花經壽量品の註の抄を作る。或る夜、其の義理を案じ、涙を流し、如來を戀慕し奉る。即ち、傍に壽量品の疏(しよ)等を取り集めて熟眠(じゆくめん)し了んぬ。其の夜、夢に、上人之御房御他行(ごたぎやう)之間、成辨、其の御寢所に居り。即ち棧敷(さじき)の如し。其の傍に厨子の口(たな)の如き有り、即ち無量の美膳を調へ居(す)ゑたり。成辨、いくらともなく之を取りて食ふ。又、諸人に與へて之を食はしむ。其の美膳、形、笋(たかむな)の如き等、多く之有りと云々。
[やぶちゃん注:「建久七年」西暦一一九六年。
「法花經壽量品」「法華経」二十八品中の第十六如来寿量品。釈迦が久遠の昔から未来永劫に亙って遍在する仏であることを説いたもの。
「上人之御房」一応、文覚ととっておくが訳では出さない。その意図は「2」の私の「上人」の注を参照のこと。
「他行」他所へ行くこと。外出。
「口(たな)」底本の注『原本「口(タナ)」とある』によって復元した。底本ではひらがなで「たな」とする。私はこの原本の「口」という表記にこそ、明恵の夢の大いなるシンボライズされた意味があるのではないかと考えている。
「美膳」豪華な料理をもった膳一式ととった。後文に「其の美膳、形、笋の如き等、多く之有り」とあることは、その料理が一品ではないことを指していると考えるからである。
「いくらともなく」その食した分量がはっきりしないことを指すとも、沢山とも、少しばかりともとれる表現であるが、次で「諸人に與へて」とあることを考えれば、少しだけであろう。但し、これが一種の神々の霊物ネクタールであるならば、その分量は減らないから、存分に食したとしても構わないように思われはする。しかしストイックな明恵がそうするとは思えず、そうしていたら明恵はそれがわかるように記述すると思われる。なお、間違えてはいけないのは「厨子」は、ない、という点である。あるのはその不思議な「口・タナ・棚」のみであり、そこにこの美膳が並んでいるのである。]
■やぶちゃん現代語訳
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一、建久七年春の頃、私は釈迦の永遠の生命を説いた「法華経寿量品(ほけきょうじゅりょうぼん)」の註釈の抄録の作成を自らに課していた。そんなある夜のこと、ある章句の意義を案ずるに、ふっと何だが零れてしまい、その一瞬、釈迦如来のことを深く恋慕し申上げている自分を意識したことがあった。その夜、私は「寿量品」について種々の注釈が記されてある、数多(あまた)の書物などを纏めおいて、その傍らで深い眠りに落ちた。その時に見た夢。
「私の上人様は外出なさっておられ、その御留守の御寝所に私はいる。そこは、高床(たかゆか)の桟敷のようになっており、その傍らには厨子を祀る際、その前に据えるような、一種の棚――それは「口(くち)」と表現するのが妥当であるような不思議な形状(というか場所というか空間)――のようなものが据えられてあり、まさにそこには、曰く言い難い、まことに豪華な料理が調理されて据えおかれてあった。私は少しだけ、それを摂って食べた。また、その後、それを持って里へ出でて多くの人々にそれを分け与え、食べさせた。その料理には、笋(たけのこ)のような不思議な形をした食材が多く使われていた……。」
[やぶちゃん補注:「2」に続いて、ここでも「師は不在」である。そして「2」の祭壇と同様に、不思議な構造の、まさに「祭壇のような上人の寝所」である。上人が不在で、舞台がその寝所である、というのは容易に「上人の死」の象徴であると考えてよかろう。そうしてそこにある不思議な料理は即座に「上人の霊肉」という解釈を容易にする。フロイト流の考え方を援用するならば、私には、この「口」のような形を連想させる棚は母性であり、屹立する「笋」は、それに対応する父性の象徴であるように思われ、明恵の中の、両性性の合一(超越)を図ろうとする意識の一つの現われであるようにも思われるのである。]