沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 15
神事をはり宿にかへり、明れば四日也。冬の日は賴がたし、木枯の風やしきりけむ、時雨の雲やきほひけむ、先いさとをき方をきはめてわがさす所の寺にゆくゑをしめむとて五山の寺々をばおくにひめをき、江島におもむく。道すがら浦山かけてけしきも所々にかはり、目をこらす跡多し。金銅の大佛・新長谷をもかへるさを心にちぎりてたゞちにゆくに、濱邊ちかき山本の一村をば坂の下といふ。名もくもりなくそこすみたるは星月夜の井に影みれば、身のおとろへに、爰も老の坂よと越ゆけば極樂寺といふ律寺あり。
たのしみをきはむる寺のうちとても 世のうきことやかはらさるらん
といひつ一門に入て見れば極樂といふ名にも似ぬありさま、佛は骨おちみぐしかたぶき、堂はいらかやぶれ、むな木たをみ、かゝぐべき寺僧の力もなく、あらき繩もてまとひ立たるは是や七寶正眞のまき柱ならむ。極樂寺のかゝる零落を見て、地獄門のさかゆく事そらにしられけり。しかあれど、さる人のいへるは、地獄と極樂の境も、さまでとをしとも聞えず、方寸の胸の中、一心の上よりみづからつくり出す事なれば、時の間に地獄もきえて天堂と成べし。地獄天宮皆爲淨土と聞時は、此寺のめぐりにしげき梢をば七えの寶樹とも見、囀る鳥の聲々は賓伽衆鳥の和雅ともきゝ、或現大身滿虛空中と聞ときは、佛はまのあたり也。億土もとをからず、去此不遠ととけり。是に速へる衆生に、かりのすがたを方便して、己心の覺體を表すれば實に利益無邊也。誰も心をはふらすべからず。法は機によつて修すべし。
極樂寺前地獄門 人々具足業障根
野燒幾度春風草 還死受生原上魂
[やぶちゃん注:まず書き下しておく。
極樂寺前(じぜん) 地獄門
人々 業障(がうしやう)の根(こん)を具足す
野燒 幾度(いくたび)ぞ 春風の草(さう)
還死(くわんし) 受生(じゆせい) 原上(げんじやう)の魂(こん)
底本では「極樂寺の前に」、「春風草」、「生を受く」である。
「たをみ」「撓む」。本来は「たわむ」であるが「たをむ」とも表記した。
「七寶正眞」「七寶」は七珍(しっちん)とも呼び、経に説く仏法を象徴する七種の宝。「無量寿経」では、金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲(しゃこ):シャコガイ。)・珊瑚・瑪瑙を、「法華経」では、金・銀・瑪瑙・瑠璃・硨磲・真珠・玫瑰(まいかい:中国産の美しい赤色の石。)とする。「正眞」は本物であるから、ここは檜や杉で作った「まき柱」(真木柱)を荘厳の七珍としてシンボライズさせ、それが荒縄で支えられている有り様を描いて、極楽寺の衰亡を象徴させている。それにしても寂寥慄然たる景色ではないか。これほどリアルに江戸期の鎌倉の衰亡を描いているとは、今回、精読して、激しく驚いている次第である。
「賓伽衆鳥」迦陵頻伽(かりょうびんが)のことを指すか。梵語“kalavika”の音写漢訳で、妙声・美音・妙音鳥などと訳すが、雪山(せっせん)あるいは極楽浄土にいるする想像上の鳥。聞いて飽きることない美声によって法を説くとされ、浄土曼荼羅では人頭・鳥身の姿で表される。ガルーダである。
それにしても沢庵和尚、ちゃんと最初に江の島に遊んでるんだね。とってもお茶目!]

