栂尾明恵上人伝記 17 高雄帰還の顛末
白上の庵聊か難儀なる事ども有りて、栖みたくもなくて、何くにも眺望心に叶ひたる處あらば、暫く住せんと思ひて、相知りたる在家(ざいけ)の人を道しるべにて、淡路國に渡りて、嶋の躰(てい)を見廻りぬ。然れどもさりぬべき處も無し。かゝる所に、文覺上人所勞難治(しよろうなんぢ)の由、同法の許より告げたりしかば、今一度向顏(かうがん)の爲に、又高雄へ歸りぬ。然るに、上人の所勞少し減氣(げんき)せり。上人告げて云はく、深く思ふ樣あり、此の寺の近き所に閑居の地多し、枉(ま)げて草庵を結びて住し給へ。此の山の奧の岩屋の向に大盤石(だいばんじやく)あり。其の體(てい)興(きよう)あり。彼の上に庵を作りて進(まゐら)すべし。其猶御心に叶はずは、梅尾(とがのを)に庵を造りて進(まゐら)すべし。彼(かしこ)に過ぎたる閑居あらじ。處がらも興あり。佛法久住(くぢゆう)すべき地形あり。運慶法師が造りたる釋迦の像付屬し奉らんなんど、樣々ねんごろに留めらる。又即時に唐本(たうほん)の十六羅漢を取り寄せてたびなんどして、丁寧に仰せらる。老病聊か少減の體なれども、心神いまだ快からず、露命且暮(ろめいたんぼ)を期(き)し難し、何に見捨て給ふぞなんどいさめられし程に、暫(しばらく)と思ひて住する所に、衆僧擧(こぞ)りて所望(しよもう)の間、辭するに處なくして、探玄記(たんげんき)を講ずと云々。其の夜の夢に、春日大明神此の宗の傳通を悦び給ひて、坊の緣(えん)に立ち寄りて舞ひ給ふと見る。