栂尾明恵上人伝記 14 二十三歳 遁世の痛快なるケツまくり
建久四年〔癸丑〕華嚴宗興隆の爲に公請(くせう)つとむべき評定(ひやうぢやう)あり。學黨(がくたう)雌雄の諍(あらそ)ひ、是を營みて聖意(せいい)を求め、是を憑(たの)みて佛法の益(やく)を得んとも覺えざればあぢきなきことなり。今は此の如き僧中を出でゝ、文殊を憑(たの)み奉つて佛道の入門を得んことを思ひて、高雄を出で、衆中(しゆうちゆう)を辭して、紀州に下向す。其の時詠じ給ひける。
山寺は法師くさくてゐたからず心淸くばくそふくにても
[やぶちゃん注:「くそふく」雪隠。厠。便所。「糞拭く」の意。]
湯淺(ゆあさ)の楢原村白上(ならはらむらしらがみ)の峰に、一宇の草庵を立て、居(きよ)をしむ。其の峰に大盤石(だいばんじやく)、左右に聳えて、小(ちいさ)き流水前後に出づ。彼の高巖(かうがん)の上に二間(ふたま)の草庵を構へたり。前(まへ)は西海(せいかい)に向へり。遙(はるか)に淡路島を望めば、雲晴れ浪靜かにして、眼(まなこ)窮(きはま)り難し。北に亦谷(たに)あり、鼓谷(つゞみだに)と號す、溪嵐(けいらん)響(ひゞき)をなして、巖洞(がんどう)に聲(こゑ)を送る。又草庵の緣(えん)を穿(うが)ちて、一株(ひとかぶ)の老松(おいまつ)あり。其の下に繩床(じやうしやう)一脚(きやく)を立つ。又西南の角(すみ)二段ばかり下に當つて、一宇の草庵を立つ。是は同行來入(どうぎやうらいにふ)の爲なり。此の所にして、坐禪・行法・寢食を忘れて怠りなし。或時は佛像に向ひて、在世(ざいせい)の昔を戀慕し、或時は聖教(しやうげう)に對して、説法の古(いにしへ)をうらやむ。
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明恵、満22歳。
――あの山寺は、坊主どもが、如何にもクッサくてクッサくてたまんないから、居たくねえ……心を清くしていられるのだったら――糞拭く便所に住んだっていいさ!
美事にケツをまくって神護寺を後にした――
何とまあ――痒かったケツがすっきりするような、痛快な遁世ではないか!
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