かなしい遠景 萩原朔太郎 (「月に吠える」版)
かなしい遠景
かなしい薄暮になれば、
勞働者にて東京市中が滿員なり、
それらの憔悴した帽子のかげが、
市街(まち)中いちめんにひろがり、
あつちの市區でも、こつちの市區でも、
堅い地面を掘つくりかへす、
掘り出して見るならば、
煤ぐろい嗅煙草の銀紙だ。
重さ五匁ほどもある、
にほひ菫のひからびきつた根つ株だ。
それも本所深川あたりの遠方からはじめ、
おひおひ市中いつたいにおよぼしてくる。
なやましい薄暮のかげで、
しなびきつた心臟がしやべるを光らしてゐる。
[やぶちゃん注:詩集「月に吠える」初版(大正六(一九一七)年二月感情詩社・白日社出版部共刊)の「悲しい月夜」の巻頭詩。私は、
紫色の顏 → 帽子のかげ
(なし) → なやましい薄暮かげで
空腹の勞働者が → しなびきつた心臟が
といった、このサンボリスムの微妙な截ち入れが行われたものよりも、初出の方の、イタリア・ネオリアイリスモ風の映像的な詩の方が好きだ。私にとっては「本所深川」じゃだめ――「本所淺草」でなくっちゃ――いけないんだ。何より朗読して御覧! 遙かに初出の韻律の方がスラーだって……。]