中島敦漢詩全集 七
七
窗外風聲近
寒燈照瘦人
歳除痾未癒
烹藥待新春
○やぶちゃんの訓読
窗外(さうぐわい) 風聲(ふうせい)近く
寒燈 瘦人(そうじん)を照らす
歳除(さいぢよ) 痾(やま)ひ未だ癒えずして
藥(やく)を烹(はう)じ 新春を待つ
〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈
・「窗外」窓の外。「窗」は「窓」の正字。高校生でも、この字の部首を「宀」(うかんむり)ととり、四画から七画の部分を「公」と書く生徒が多かった。「窓」は活字を見ても、一目瞭然、また意味を考えて見ても合点がゆくはずであるが、「穴」(あなかんむり)である。「廣漢和辭典」の解字によれば、この字は形声で、「穴」+「悤」(声)、「悤」は「窗」の下部の「囱」に通じ、屋根に空けたまどの意。これらの字体の元となった篆書体では「穴」を付加して意味を明らかにしてあるが、最初の字体は「囱」である、とある。なお、日本語でいう『窓』は、中国語では古来より「窗」である。
・「風聲」風の音、噂話、声望などという意味があるが、ここでは普通に、風が何かに当たって立てる音、もしくは風が鳴る音。
・「寒燈」寒い夜の一灯の照明。往々にして孤独でもの寂しいさまを形容する際に使用される。中国古典での用例も比較的多い。
・「瘦人」文字通り、痩せた人である。但し、通常は必ずしも病人を指すものではない。
・「歳除」一年最後の日。大晦日。
・「痾」病い。
・「烹藥」「烹」は、煮る、沸かす、他に油を加えて炒めた上で調味料で味付けをするという意味がある。「藥」と合わせ、ここでは薬を煎じる(煮詰める)という意で取ってよかろう。ちなみにネットで調べたところ、喘息に効果のある漢方の処方として、薬草を煎じる場合も十分あるようである。俳句では、末期の芭蕉が絶賛したという丈草の句に「うづくまる薬の下の寒さ哉」、それをパロディ化した芥川龍之介の句に「藥煮るわれうそ寒き夜ごろ哉」などがある。
・「待新春」文字通り、一種の期待感を持ちつつ新春を待つこと。古くは唐代の詩にも用例を見出すことが出来る。
〇T.S.君による現代日本語訳
木枯らしが――
ふと時折、なにか
思い出したかのように
窓の硝子をひとしきり叩き
まるで私を愚弄するかのように
ガタガタとやかましい音を立てている
窓を隔てた向こう、暗闇の立ち籠める戸外では
寒風に嬲られる裸ん坊の木立が「をうをう」と叫んでいる
ほらすぐそこだ! 聞き給え、私を取り囲む冬の無神経で無慈悲な呟きを
…
一盞(いっせん)の灯(ともしび)が――
私の落ち窪んだ眼窩、削げた頬、尖った顎に深々と陰翳を刻む
もう大晦日だというのに、未だ病は癒えぬ
薬を煎じる音、立ち上る湯気
自分の前に横たわる
遠い運命を想い
目前に迫った
新たな年の
到来を
待つ
…
…
〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈
難しい用字もない素直な詩である。
それなのに、起句と承句によって、目に見える範囲の光景を完全に捉え切ってしまう、その描写力に驚かされる。前半の二行だけから把握できることを、まずはシナリオ風に書き記してみよう。
――冬の夜、詩人は屋内に独り、仄かな淋しい唯ひとつの燈火の下に佇んでいる。(貧しさのためか病のためかまだ分からぬ)
――彼は非常に痩せ細っている。
――詩人の耳に届くのは、窓の外を吹く冷たい風の音ばかりだ。(密閉性に乏しい日本家屋。窓周りから戸外の騒音を十分に通してしまうような建て付け。)
――窓のすぐ向こうの木立の騒ぐ音、電線の鳴る音だって手に取るようだ。
次に窓そして室内を見てみよう。イメージとしては数十年前迄なら極当たり前だった日本家屋の窓そしてその書斎を想起されたい。私と一緒に、あの頃に、戻ってみよう。
――全開口部を覆うような一枚硝子ではない。木製の窓枠の内側に同じく木製の幾つかの格子が設えられた窓。それらの長方形の幾つもの区画には比較的小さな硝子板がひとつずつ嵌め込まれている。それだって、当然ながら充填剤などで周囲を固定された、振動や隙間風を防ぐような洒落た代物であろうはずもない。木製の格子枠に溝が誂えられており、そこに直接、硝子板が嵌め込まれているのである。強い風が当たれば、当然それらは一斉にガタガタと音を立てる。無数の隙間からは冷気が忍び込んでくる。照明は、まさか蝋燭ではないだろうから隙間風で揺らぐようなことはあり得ぬが、現代のような、天井板や家具の蔭まで舐めるような光を投げ掛ける、のっぺりと青ざめた蛍光灯などではない。おそらく白熱電球だ。そのたった一つの光源から四方に照射される減衰率の高い光線に――詩人の身体、そして顔が――照らされている。そうして単調な、しかし彫りの深い陰翳を形作っているのである……。
さて続く転句では詩人が病を患っていることが、結句では薬を煎じていることが明らかとなる。
何の病なのだろう。
無論、中島敦が宿痾の喘息を抱えていたことを、私は既に知ってしまっている。が、しかし、私は敢えてこの詩ひいては文学というものに、謙虚な敬意を払って、そうした周縁的予備知識を一度封じて、詩だけに体当たりすることとしたい。
――吹きすさぶ木枯らしの音
――薬を煎じる際の湯が煮立つ音と湯気の立ち上る音
――乾燥した冬の大気にあっという間に拡散していく水蒸気
――乾いた空気に痛めつけられる口腔や喉の粘膜
この映像には何処となく、呼吸器系の病いのイメージが重なる。木枯らしが直ちに喘息で咳き込む音の象徴であるとまでは言わずとも、ここで聞き取れる幾つかの音に、細い管をシュウシュウと乾いた空気が通過するイメージを喚起されても少しもおかしくない。つまり、詩人が喘息を患っていたことを知らずとも、痩せた身体と風の音に、暗に胸や気管支の疾病を連想することが許される条件が画面に立ち上ってきているのである。
私にははっきりと、一灯の明かりのもと、
――綿入れか何かを羽織り、口を白い布で押さえ、胡坐をかくか正座をするなりしつつ座卓に向かう詩人
の姿が見えてくる。
そして最も大切なこと。
それは(実は当初、私が最も戸惑ったことなのだが)、詩全体の空気に仄かに漂うカラッとした軽妙さである。
薬を煎じる際の立ち上っていたであろう水蒸気にも侵されることのない――乾性――である。
その出所は、この詩の生命の在り処とも言えるふたつの語句、転句の「未癒」、そして結句の「待新春」にある。
病いは「未」だ「癒」えていない――つまり、翻って言えば――病いはいつか癒えるかもしれない――癒えることを予想してもいい――この病は必ずしも死に至らない――のである。そんな期待が、幽かに漂ってくるのである。
そして、いや、さればこそ、詩の末尾の「待新春」、詩人は「新春」を「待」つのである。決して遠い未来ではない。あと数時間もすれば訪れるはずの、新しい歳を、待つのである。
しかし、正月が来ると何か変わるとでも言うのであろうか? 病いが快方に向かうとでもいうのであろうか?
違う! そんな上っ面なことを考えてはいけない。大切なのは、彼の心の持ち様(よう)なのである。
則ち、
新年が来るということを素直に期待できるという心の状態
である。それも、遠い将来に希望を託すという形而上的な明るさではなく、身近な明日を両手を広げて素直に待ち受けるという、いわば、
今ここに呼吸をし、生きている人間としての心の在り様(よう)
なのだ。
私がこの場面を映像化するなら、最後のカットで詩人の視線と顔の向きを水平よりほんの少しだけ上向きにしたい。能楽では、シテの感情が「陽」にあるときに面(おもて)を水平よりほんの少し上に向ける。これを「テラス」という(それに対して陰にあるときは俯かせ、これを「クモラス」という)。その効果を狙いたいのだ。
上述した二点の効果の結果、この詩には湿気のある粘着性の暗さが感じられない。
当たり前のことであるが――魂は孤独である。
当然ながら淋しさを噛みしめている。
しかし自らの苦難に進んで溺れていくような弱さや、苦しむ自分を題材に涙を詠うような甘えはこの詩に一切感じられない。
かといって決して歯を食いしばったり、力んだりもしていない。
自然体のまま冬に耐えつつ、到来しつつある歳を淡々と想う詩人の姿が見える。
つまり、この詩の生命は、孤独や病苦の中にあっても抱き続ける、この詩人の生に対する静謐な希望なのである。[やぶちゃん注:私はこの詩やT.S.君の訳に私の偏愛する映像詩人アンドレイ・タルコフスキイの「鏡」の面影を感じてやまない。アンドレイならきっとこの詩も訳も愛して呉れる――否――きっと喜んで撮って呉れる――そんな心躍る確信が私の中にはあるのである。]
ところで、この明るさはどこから来るのであろうか。ここからは中島敦という作家を自分なりに知ってしまった後世の私という立場から言おう。
南方を題材にした彼の幾編かの小説には、南国特有の陽光に照らされた生命の健康な代謝が感じられるが、その健やかさとこの末尾には何か繋がりがあるのではなかろうか。彼が実はその元来の体質として持っていたところの、生きて躍動する健康な生命力が核にあって、その発露としての明るさがこの結句にこそ顕われたととることは出来ないだろうか。
ここまで記してきて、私は今、気づいた。
そういえば、『中国物』も含めて、彼の書く小説には、屈辱や悲憤や絶望や恐怖など、負の情緒の描写が数多い。しかしそこには常に、鍛えられ弾力に富んだ『鋼(はがね)』のような、常に背筋を伸ばした、ある種の強靭な『竜骨』が通っていた。
詩人に、もし宿痾の喘息がなかったなら、その人生の途上でどんな作品が産まれただろう? 私は独り夢想してみる。……すると……失礼ながら、恐らくは作家として名を成すことはなかったであろうことが見えてくる。なぜなら、理不尽な運命に対峙する彼の鋼のような竜骨は、恐らく彼の宿痾をこそ最大の糧の一つとして鍛えたものだったことが見えくるからである。
最後に。この詩に関して、今一つ、私がどうしても想起してしまうのが、芥川龍之介の漢詩、「芥川龍之介漢詩全集」の「十五」である(私が関わった部分は「芥川龍之介漢詩全集 附やぶちゃん訓読注+附やぶちゃんの教え子T・S・君による評釈」を参照されたい)。
潦倒三生夢
茫々百念灰
燈前長大息
病骨瘦於梅
特にその転結句について、私の現代日本語訳を以下に再録する。
ほら、厳しい寒気に苛まれ、色褪せて縮込まる、梅の枝のような私の身体……。一灯の下、私の長い歎息が消えていく先は、そこの闇か。それとも、未来か。そして――冬の底の静寂――
これはすこぶる中島敦の漢詩と共通する。――病と、痩躯と、冬と――そして冬の向こうに予感される春、控えめにしか匂わされないけれども確かに在る未来への期待――である。
……そして/しかし、そこには――龍之介にあって――中島敦にない、若しくは、殆ど嗅ぎ分けられぬものが、ある。――
……それは藪野先生による評釈を読んだ後、何となく、僅かに感得し得る程度の、頗る幽かな濃度のものではあるのだけれども――
――「梅」が仄めかすところの、在るか無きかの性的な艶(つや)めいたイメージである。
但し、これについて私は、漢文に徹底的に浸って生きてきた中島敦の中で、無意識に働くところのストイックな抑制効果であって、彼の内部で蠢いていた『性』の生温かさは、龍之介のそれと大きな違いはなかったと思っていることは明記しておきたい。
« 身邊雜記 萩原朔太郎 | トップページ | 鎌倉世界遺産落選記念 浅井了意「東海道名所記」より 藤沢遊行寺から江の島・腰越を経て鎌倉へ »