栂尾明恵上人伝記 28
又其の比、南都の住侶(じゆうりよ)焚賢(ふんげん)僧都の許より、態(わざ)と人を奉れり。其の狀に云はく、「去る二十四日、春日の社壇に參詣、念誦の間に、折節(をりふし)御神樂(みかぐら)あり。舞巫(まひみこ)の中に俄に神託し給ひて云はく、我自(みづか)ら無量劫以來、一切の佛法を護つて、一切衆生を度せん事を誓ひぬ。然るに明惠房程の僧、此の比(ごろ)異朝(いてう)にも稀なり。況んや我が朝にあらんや。此の國に於て度衆生(どしゆじやう)の緣ありて、此の處に生ぜり。然れども前生(ぜんしやう)に中天竺に在りし餘執(よしふ)にて、釋尊の御遺跡(ごゆゐせき)を慕ふ志深くして、天竺に渡らん事を思ふ。天竺には是程の比丘もまゝあり。依て我れ闕(か)けたる所を補はん爲(ため)、又此の國の衆生に緣ある事を思ひて、渡天竺の事頻りに先年より惜み留むといへども、猶其の志休せずして、其の營みに及べり。先途(ぜんと)程(ほど)遠し。渡らば定めて歸る事を得んや。若し我が心を破つて進發せば、本意(ほんい)を成就せん事あらじ。此の趣を知らずやと云々。言多しと雖も詮(せん)を取れり。此の焚賢は事の緣有りて上人に日來(ひごろ)申承くる人なり。其の好(よし)みを以て示し申さるゝにや。かやうのことゞもに依つて、渡天竺の事延引(えんにん)と云々。
[やぶちゃん注:前段での私の感懐が強ち誤りではないことがお分かり戴けるものと思う。
「詮」は真理部分。]