君が手に銀貨はなるる一切刹浪にかくれぬ黑き男は 萩原朔太郎
君が手に銀貨はなるる一切刹
浪にかくれぬ黑き男は
(江の島にて即興)
[やぶちゃん注:昭和五三(一九七八)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集」第十五巻所収の「ソライロノハナ」より。「一切刹」はママ。この歌集は当該底本で初めて公開され、知られるようになった自選歌集で、確か、この全集の発刊された前年の昭和五二年、萩原家が発見入手したもので、それまで知られていなかった自筆本自選歌集である(死後四十年、製作時に遡れば実に六〇余年を経ての発見であった)。存在の可能性は同全集第二巻にある「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」にある、以下の詩(この決定稿が「ソライロノナ」の序詩である)によって知られてはいた。
寫真に添へて
歌集「空いろの花」の序に
たはかれどきの薄らあかりと
空いろの花の我(ア)れの想ひを
たれ一人知るひともありやなしや
廢園の石桓にもたれて
わればかりものを思へば
まだ春あさき草のあはひに
蛇いちごの實の赤く
かくばかり嘆き光る哀しさ
(一九一三、三)
「石桓」はママ。「石垣」の誤記であろう(同三巻では冒頭の「たはかれ」を「かはたれ」、「石桓」を「石垣」とした校訂本文が載り、同第十五巻所収の「ソライロノハナ」の序詩である「空いろの花」の校訂本文も同じである。即ち、「ソライロノハナ」の原本は題名を「空いろの花」としただけで以下は上記「習作集第八卷(愛憐詩篇ノート)」通りの表記であることを意味している(私は復刻本を所持しているはずなのだが見当たらないので全集記載からかく記した)。なお、同初出形の後の注記(三七五頁)には底本同ノート『卷末の目次では「空色の花の序に」との題名を附している』とある。
同歌集自序には『一九一三、四』のクレジットがあり、大正二(一九一三)年四月頃に製作された歌集と考えられている。序詩と自序に、「自敍傳」と題する散文・短歌を配した歌物語風の「二月の海」・歌集群「若きウエルテルの煩ひ」「午後」「何處へ行く」「うすら日」の本文六章からなる。底本解題によれば収録短歌数は全四二三首、内、同歌集内で二首が重複し、それを除く四二一首の内で既発表のものは八五首のみである。上記の一首はこの「ソライロノハナ」のみに載るものである。当該自選歌集は二〇一三年五月十三日現在、ネット上では電子化されていないものと思われる。]
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