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2013/05/07

栂尾明恵上人伝記 23 生きとし生けるものあらゆる対象に仏性は「ある」

 建仁元年二月の比、如心偈(によしんげ)の釋(しやく)竝に唯心義二卷之を作る。

 

 紀州保田(ほだ)庄の中に、須佐(すさ)の明神の使者といふ者の、夢の中に來りて、住處の不淨を歎き、又一尊の法、傳受の志甚だ深きの由を述べらる。然りと雖も、無沙汰にて心中計(ばか)りに存ぜられて、日を送られける程に、或時人に託して此の趣を託宣あり。先の夢に異ならず。不思議に思ひ合せられけり。爰に、身に於て其の憚りあり。授法の器(うつは)に非ずと云ひて固く辭せられければ、泣く泣く餘りに歎き申されける間、阿彌陀の印・眞言計りを傳授す。歡喜悦豫して去りぬ。此の如く靈物歸依渇仰(れいぶつきえかつごう)して、値遇(ちぐう)の志を述ぶる輩其の數を知らず。又石垣の地頭職違亂の事出で來りしかば、保田(やすた)の星尾(ほしを)と云ふ處に移り任し給ひぬ。

[やぶちゃん注:私の所持する、久保田淳・山口明穂校注岩波文庫版「明恵上人集」では「紀州保田(やすだ)庄」とし、末尾にはルビを振らず、平泉洸全訳注「明惠上人伝記」の原文パートでもともに「やすた」とし、両書ともにこの「保田」を現在の和歌山県有田市にあった庄名と採っている。]

 

 建仁年中に春日大明神御降託あり。事多きに依りて別に之を註す。

 

 或る時云(のたま)はく、末世の衆生、佛法の本意を忘れて、只法師の貴きは光るなり、飛ぶなり、穀を斷つなり、衣を着ざるなり、又學生(がくしやう)なり、眞言師なりとのみ好みて、更に宗(むね)と貴むべき佛心を極め悟る事を辨ぜざるなり。上代大國(じやうだいたいごく)猶此の恨みあり。况んや末世邊州(へんしう)何ぞ始めて驚くべきや。

 

 上人常に語り給ひしは、「光る物貴くは、螢・玉蟲貴かるべき。飛ぶ物貴くは、鵄(とび)・烏貴かるべし。食はず衣ず貴くば、蛇の冬穴に籠り、をながむしのはだかに、腹ばふも貴かるべし。學生貴くば、頌詩(じゆし)を能く作り、文を多く暗誦したる白樂天・小野篁(をのゝたかむら)などをぞ貴むべき。されども詩賦の藝を以て閻老(えんろう)の棒を免るべからず。されば能き僧も徒ら事なり、更に貴むに足らず。只佛の出世の本意を知らることを勵むべし。文盲無智(もんまうむち)の姿なりとも、是をぞ梵天帝釋も拜し給ふべき。

 

 凡そ此の上人、蟻螻(ぎろう)・犬・烏・田夫・野人に至るまで、皆是れ佛性を備へて、甚深(じんじん)の法を行ずる者なり、賤しみ思ふべからずとて、犬の臥したる傍にても、馬牛の前を過ぎ給ふとても、さるべき人に向へるが如く、問訊(もんじん)し、腰を屈めなどしてぞ通り給ひける。物を荷(にな)ふ朷(あふこ)をらも是は人の肩に置く物なり、笠は首に被(かつ)く具なりとて越え給ふ事なし。墻壁(しやうびやく)を隔つといへども、人の臥したる方へ足を伸ぶることなし。貴賤違順(ゐじゆん)、敢えて差異なし。惡人猶隱れたる德あり、況んや一善の人に於いてをや。善を聞いては心を快くして、他の普く聞かざらん事を恨む。されば集會講法(しふくわいかうはう)の次(ついで)には語り弘め給ひけり。又三寶・堂塔伽藍に向ひ奉りての禮儀、三業淸淨(さんごふしやうじやう)なること云ふに及ばずして御坐(おはしま)しける。諸堂の前にて馬・輿に乘り給ふ事なし。賤しき路の畔の草堂に指入(さしい)るまでも、正しき生身(しやうしん)の如來の御前に臨み給ふ體(てい)も、かくぞあらんずるぞと見え給ひける。行路の間にも堂塔の古き跡、又正しき佛座の跡など、踏み給ふことなし。又袈裟懸けずして假借(かしろめ)にも聖教を手に取り給ふことなし。經・律・論・聖教(しやうげう)次第を正してぞ重ねおき給ひける。まして高き物の上ならで見給ふこと更になし。

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