窓わく 大手拓次
窓わく
あをい菊、
きいろい菊、
菊は影のいのちである。
菊はふとつてゆく、
菊は裂けてゆく、
菊は死人の魂をよんで、
おほきな窓わくをつくる。
その窓わくに鳥(とり)がきてとまる。
窓わくは鳥(とり)と共寢(ともね)する。
鳥は足をたて、
羽(はね)をたて、
くちばしをたてたが、
眼(め)のさきがくらいので、そこにぢつとしてゐる。
永遠は大地の鐘(かね)をならしてすぎてゆく。
[やぶちゃん注:これはアンドレイ・タルコフスキイの「鏡」(Зеркало 1975 私はタルコフスキイの、映画のベスト1をと言われれば躊躇なく「鏡」を挙げる)や、つげ義春の「窓の手」(私はつげ義春の、忘れ難い近年の作品――それでも一九八〇年である。彼は一九八七年の「別離」以降、筆を執っていない――の一本をと言われれば躊躇なく「窓の手」を挙げる)……でも……なく……寧ろ、さえも……これはマルセル・デシャンの「フレッシュ・ウィドウ」(Fresh Widow 1920)である、とさえ……]
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