螢狩――愛人室生犀星に 萩原朔太郎
螢狩
――愛人室生犀星に
醉つぱらつて街をあるけ、夜おそくあるけ、
ああ、窓の上には憔悴した螢が居る、汝の圓筒帽を捧げ光らせ、巷路にひろごり輝くところの菫を見よ、いとしい私の醉つぱらひの息子兄哥よ、
しんあいなる私の息子兄弟よ、生れない不具の息子よ、お前のダンスがの纖細なそして優美な足どり、みろ、琲珈琲の美女をして絕息せしむるところのお前の汝の肉感な的なそして詠嘆風な奇怪なダンスの足どり、靴の底を見たまへ、更に天井の蜂巢臘燭を見たまへ、汝は怖るべき殺 者だ、それ見ろ、貴樣は指は血だらけだ、
つつしんで故に浸禮聖號を捧ぐ、汝の名覺ある淫行のために、わが擬人の→をしての額に我れの螢を光らさしめよ、
淫行の長い沈默から月夜を恐れる。
螢だ、
螢だ、いちめんの靑い螢だ、
これが別れだ、息子兄哥よ、愛人よ、戀魚よ、おんみよ、遠くから私の疾患の靑い手を吸つて呉れ、手はしなへほろびてゆく、遠くにらじらうまちずむの墓場がある。光る、大理石の墓標だ、ああ、淚が凍る、なんといふ傷ましい別れだ、か細い指の先で、つぶされた螢が泣いて居るよ
[やぶちゃん注:底本第三巻「未發表詩篇」の「散文詩・詩的散文」に所収。取り消し線は抹消を示し、「→」の末梢部分は、ある語句の明らかな書き換えがともに末梢されたことを示す。太字「らうまちずむ」は底本では傍点「ヽ」。「臘燭」「名覺」はママ。底本校訂本文の方ではそれぞれ「蠟燭」「名譽」と改変されている。第二連終わりの方の「殺 者」の字空けもママ。これについても底本では、『著者が後で漢字を入れるために空けておいたものと思われるので、前後關係や著者の慣用を考え合わせて決定稿には「戮」を補った』と補注され(「前後關係や著者の慣用」の部分については次に掲げる「淺草公園の夜」を参照)、この部分も上の校訂本文の第二連は、
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しんあいなる私の兄弟よ、生れない不具の息子よ、お前のダンスがの纖細なそして優美な足どり、みろ、珈琲の美女をして絕息せしむるところの汝の肉感的なそして詠嘆風な奇怪なダンスの足どり、靴の底を見たまへ、更に天井の蜂巢蠟燭を見たまへ、汝は怖るべき殺戮者だ、それ見ろ、指は血だらけだ。
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と補正されてある(最後の読点の句点変更も編者による)。なお、底本にはもう一つの注が附されており、それによれば、この詩篇の記載の後に『「習作集第九卷」の「おもひで」の草稿「菊」と、銀杏の實のデッサンが同一用紙に續けて記されている』とある。以下に底本同巻の『草稿詩篇「習作集第八卷・第九卷」』から当該詩を示しておく。記号は上に準ずる。 但し、これは全篇が抹消されている。
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菊
うすらひに
魚(いさな)のさやぎ
まつの葉に
こなゆきのふりる
冬のはつしも
あさのしらじら
けあさのひびき
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試みに抹消部分を除去すると、
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菊
うすらひに
魚(いさな)さやぎ
まつの葉に
ゆきのふる
はつしも
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となる(全抹消であり、抹消除去詩形は底本には載らない)。
なお、筑摩版全集第三巻の『草稿詩篇「未發表詩篇」』には、『螢狩 (本稿原稿二種三枚)』として、無題の一種が載る。以下に示す。以下、二段落から成るが、各段落の二行目以降は、底本では一字下げとなっている。太字は底本では傍点「﹅」。
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○
醉つぱらつて街を步け、よるおそく、あるけ。
ああ、窓の上には憔悴した螢が居る、街中いつぱいに汝の圓筒帽を捧げ光らせ、巷路(まち)いちめんに輝くところの裸形體の菫を見ろよ、ぴいぴいと鳴いて居る菫のあまつちよにきすを投げろ、まつくろな、醉つぱらひの路だ、哀しい紫の、醉ひどれの筋路だ、淺草公園活勣寫眞がい るみねえしよんがの細長い齒痛の路だ、光る日輪、
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編者注があり、『末尾「光る日輪、」以下はない。「未發表詩篇」の散文詩「淺草公園の夜」と類似の句がある。』とある。「淺草公園の夜」はこちらで電子化注している。]