栂尾明恵上人伝記 31 雨乞成功と民草の見た霊夢
上人紀州に栖み給ひける夏、八十餘日に及ぶまで大旱魃(だいかんばつ)しけり。國々村々の田畠悉く燒け枯れて、萬民の歎き斜ならず。爰に上人哀しみに堪へずして、試みに大佛頂(だいぶつちやう)の法を修し給ふ。手づから自(みづか)ら二龍を圖して、一龍をば加持して海中に入れ、一龍をば壇上に安んじて祈誓を致し給ふ。二龍の銘に毘盧舍那(びるしやな)の大龍王と書き付け給ふ。是は毘盧舍那の一解脱の主たる大龍を請ずるに依つてなり。此の法三日を期限とし給ふ。其の間同法兩三をして、別譯の華嚴世主妙嚴品(けごんせしゆめうごんぼん)を轉讀せしむ。亦彼の法に依つて水を加持して、高山の峰に登りて是を灑(そゝ)ぎ給ふに、第三日の未の刻に至りて、雲一片彼の神谷(かみだに)の山寺の上に靉靆(たなびき)て、程なく大虛(おほぞら)に遍滿して、霹靂轟き、大雨降ること三日なり。萬民悦び合ふ事限り無し。其の近隣の里人多く夢に見けるは、上人の草菴の上より二龍空に登りて、一龍は水を天に灑ぎ、一龍は洪水を止め、田地を損ぜじとし給ふと見る由、申合ひにけり。此の二龍の圖加持の事、御弟子一兩輩の外更に知る人なし。各披露に及ばず。然るに此の如き夢想奇異不思議の事なり。
[やぶちゃん注:これはすこぶる興味深い。ここでのき夢記述は民が共時的に見た霊夢なのである。なお、「是は毘盧舍那の一解脱の主たる大龍を」の「る」は底本では植字ミスによって空欄になっているのを諸本で補った。]
建暦二年〔壬申〕、摧邪輪(ざいじやりん)三卷之を作る。
同三年〔癸酉〕六月莊嚴記(しやうごんき)一卷之を作る。
建保三年〔甲戌〕三寶禮釋(さんばうらいしやく)一卷之を撰ぶ。又同(おなじく)功德義(くどくぎ)之を抄す。
又同年、華嚴經十廻向の中に、菩薩五臟の中の心の臟をさきて衆生に施與(せよ)するとて、二十種の菩提心を列せり。其の中の四種の菩提心を左右に書きて能求(のうぐ)の心として、上に横に三寶の梵號(ぼんがう)を書きて本尊とす。必ず生々世々普賢大菩提心の行者として、三寶の値遇を遂げんが爲なり。委しくは三寶禮釋竝に功德義等に之を載せらる。尋ね見るべし。