栂尾明恵上人伝記 24 「あるべきやうは」――ゾルレンへの確信
或る時、上人語つて曰く、我に一の明言(めいげん)あり。我は後生(こうしやう)資(たす)からんとは申さず、只現世(げんぜ)に有るべきやうにて有らんと申すなり。聖教の中にも、行すべきやうに行じ、振舞ふべき樣に振舞へとこそ説き置かれたれ。現世にはとてもかくてもあれ、後生計(はか)り資(たす)かれと説かれたる聖教は無きなり。佛も戒を破りて我を見て、何の益かあると説き給へり。仍て阿留邊幾夜宇和(あるべきやうわ)と云ふ七字を持(たも)つべし。是を持つを善とす。人のわろきは態(わざ)とわろきなり、過ちにわろきには非ず。惡事をなす者も善をなすとは思はざれども、あるべきやうにそむきてまげて是をなす。此の七字を心にかけて持たば、敢えて惡き事有るべからずと云々。
[やぶちゃん注:「阿留邊幾夜宇和(あるべきやうわ)」遂にここに明恵の思想の核心が出現する。まさに「ある」こと、ザイン(Sein:実在・存在の)に反定立するところの「あるべき」ようにあること――ゾルレン(Sollen:当為)――である。しかもその前提於いて明恵は「我は後生資からんとは申さず」(後世に於いて極楽往生したい/しようなどとは言わぬ)というのである。まさに親鸞や日蓮といった鎌倉新仏教の強烈な個性に対等に並ぶ宗教者としての毅然たる若々しい自意識が、この「阿留邊幾夜宇和」(「在るべき樣は」)という七字の教えに晶結しているではないか。]
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