大和田建樹「散文韻文 雪月花」より「鎌倉の海」(明治二九(一八九六)年の鎌倉風景) 2
おのが生活は家こぞりて六人、みづから炊きみづから煮るをもてたのしみとす。平生魚のあたひしらざる主人も、濱にいでゝはいさきべらなどいふもの提げかへり、みづから庖刀とりてまないたに向ふ。鱗は逆にとび鰭は半ばちぎれたり。笑ふなよ是も社會の一進歩なるを。
沖の片帆にのこりたる夕日も、いつしか影ををさめて雲を染めたり。染められて立てる富士、忽ち紅に、忽ち紫に、忽ち黑く、忽ち薄く、遂に姿をかくして止みぬ。天女の額か造花の影か、抑も美の神の弄びけん筆か。
うしろの山は月になりぬ。數へ出ださるゝ松のひまより、黄金の盃はきらめきのぼりぬ。波ところどころ白く光りて、やうやうに銀をちらし、又黄金をちりばめゆく。
夜もふけぬ。月をふみて遠くあるけば、我かげあざやかに砂にあり。興に乘じてあくがるゝ人、我と影とのみならず、詩を吟ずる聲はかしこの岩の上にも起れり。
時としては朝霧を分けて山路にあそぶをりもあり。姉なる子は妹の手を引きて從ひ來りぬ。末の弟は父の肩を輿にしてにこにこといさむ。いざ花のあらんかぎり集めてみんといへば、姉と妹ははやおくれじと摘みはじめたり。螢草、野菊、蚊屋草などを始とし、名も知らぬ花さへ小さき手にあまりぬ。肩なる子のあれよあれよと指さすをみれば、岸のひたひに咲きほこる姫百合、のぞみは高けれど、とゞかぬをいかにせん。
[やぶちゃん注:「蚊屋草」単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科カヤツリグサ属 Cyperus の一種を指していよう。中でもハマスゲ Cyperus rotundus が、名と言い、風情と言い、このシーンには相応しい気がする。ハマスゲは初夏から秋にかけて真っ直ぐな花茎を出して立ち、やや細くて深緑、強い照りを持つ。その先端に花序が付き、基部の苞は三枚ほどで長いものは花序より長いが、あまり目立たない。花序は一回だけ分枝する。小穂は線形で長さ一・五~三センチメートル程度で、互いにやや寄り合って数個ずつの束を作る。小穂の鱗片は血赤色で艶があるが、やや色が薄い場合もある(以上はウィキの「ハマスゲ」に拠る。但し、同記載には『乾燥に強く、日ざしの強い乾いた地によく成育する。砂浜にも出現し、名前もこれによるものであるが、実際には雑草として庭や道端で見かけることの方が多い』とあることを附言しておく)。
「岸の額」崖の突き出ている部分のこと。]
畑にいづれば、赤き毛を垂れたる玉蜀黍あり。綠の弓を掛けたる十六大角豆あり。此中道を急ぐとなしにうねりゆけば、穗にいでたる粟は頭うちたれて送り迎へす。
[やぶちゃん注:「十六大角豆」は「じゅうろくささげ」と読む。双子葉植物綱マメ目マメ科ササゲ属亜種ジュウロクササゲ
Vigna unguiculata Var. sesquipedalis。参照したウィキの「ジュウロクササゲ」によれば、『かつては日本でも広く栽培されていたが、現在では愛知県と岐阜県を中心とした地域で生産されている。食されるのもこの地方が中心である。あいちの伝統野菜、飛騨・美濃伝統野菜である』とあり、『栽培を始めた時期は不明であるが、大正時代以前といわれている』ものの、実際に本格的に栽培され始めたのは昭和二〇年以降とする。和名は莢(さや)の中に豆が十六個あることによる。豆は熟すと赤褐色となる。草丈は二~四メートルで、高温や乾燥に強く、真夏に結実する。莢の長さは三〇~五〇センチメートルで、形はインゲンマメに似て細い(だから大和田は「綠の弓」と表現した)が、柔らかいのが特徴である。]
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