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2013/05/06

明恵上人夢記 11

11

 

一、同四年正月、夢に云はく、二條の大路、大水出でたり。成辨、將に之を渡さむとす。前山(さきやま)兵衞殿、馬に乘りて、來りて將に之を渡さむとし給ふ。成辨、彼と共に將に之を渡さむとす。教へて云はく、「一町許りの下を渡すべし。」即ち、指を以て之を指し示し給ふ。成辨、教へに依りて之を渡す。深さ馬の膝の節に到る。心に思はく、廣くは出でたれども淺かりけりと思ふ。即ち、安く之を渡して向ひに付き畢(をは)んぬ。

 

 

 

[やぶちゃん注:「同四年」建仁四(一二〇四)年。明恵は満三十一歳であった。

 

「二條の大路」二条大路は平安京大内裏の南端を東西に走る、内裏では朱雀大路に次いで広い通りである。中央で南北に走る朱雀大路と接し、そこに朱雀門がある。まさに平安京のx軸に相当する。

 

「前山兵衞殿」明恵の養父であった崎山良貞(?~元久元(一二〇四)年)。明恵の母の妹(伯母とする記載もある)信性尼(湯浅宗重娘)の夫。紀州有田川下流域を支配した豪族で、明恵の庇護者でもあり、死後の承元二(一二〇八)年には未亡人によって彼の屋敷が寺として明恵に寄進されている。彼の死去は元久元(一二〇四)年十二月十日で(建仁四年は二月二十日に元久に改元している)、この夢はその没年のまさに年初に見たものである。明恵にとっては、後年になっても忘れ難い「父」の象徴夢であったことは想像に難くない。

 

「一町」約一〇九メートル。

 

「下」現在の京都では「下ル」「上ル」はそれぞれ南及び北に行くことを指すが、ここは東西の二条大路であるから、それに対応する「西入ル」「東入ル」であるとすれば、西方向に一一〇メートル程という謂いであろうか。一応、そう訳しておいた。もしかするとこの不審な「下」という字(言葉)には何か別な重要な意味が隠されているのかも知れない。]

 

 

 

■やぶちゃん現代語訳

 

11

 

 建仁四年正月の夢。

 

「二条大路が出水(でみず)ですっかり冠水してしまっている。

 

 私は、今まさに、そこを渡渉せんとしているのであった。

 

 そこに我が養父(ちち)前山(さきやま)兵衛良貞殿が馬に乗ってこられ、その養父(ちち)も、同じ如、そこでまさに、その大路を渡渉せんとなさるのであった。

 

 私は、その養父(ちち)と一緒に、まさに大路を渡ろうとした。

 

 すると、養父(ちち)が、私にお教えになられることに、

 

「――そちが今渡ろうと考えている『そこ』よりも、これ、一町ばかり西へ下がったところを向こうへ渡るのがよいぞ。」

 

と仰せられて、同時に御自身の指を以って、その確かな場所をはっきりとお示しになられた。

 

 私は、その教えに従ってそこへ向かい、騎馬の養父(ちち)と一緒に、そこを渡渉する。

 

 水の深さは、馬の膝の関節程度のものであった。

 

 私は、心の中で、

 

『……なあんだ。……広うに出水(でみず)致いてはおれど、その深さは、存外、浅かったんじゃないか――』

 

と思った。

 

 そのまま、難なく無事、大路を渡って向こう岸に容易く辿り着くことが出来た。――」

 

 

 

[やぶちゃん補注:養父との極めて親密にして良好な関係性が見て取れる(薬師丸(明恵の幼名)は七歳で父を亡くしている)。画面では男性原理の父性権威の象徴性が騎馬の義父に示されており、そこに扈従する明恵は、私には、初読の最初から、若武者――少年の面影を湛える青年の明恵(私には十代にしか見えない)が――手にした弓を以って水深を測っている映像が既にして決定(けつじょう)してしまっていて、変更出来ない。僧としての『人生の此岸』から『人生の彼岸』の渡渉点にあって、この義父の存在は極めて大切な存在であったことが窺われる、短いが映像化し易い、一読、印象に残る夢である。]

 

 

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