海産生物古記録集■番外 後藤梨春「随観写真」の「鯛之福玉」の記載
fishinfish2010氏のブログ「魚のサカナ(鯛のタイ)図鑑」の「【番外編】鯛の九つ道具(その2)」に、「随観写真」の「鯛福玉」の記載を発見(リンクも充実していて即原画像に辿り着けるのもハゲシク、ミリキ的!)。このブログも『鯛の鯛』を語って凄絶にして素敵! 憧れちゃう!
《引用開始》
◎『随観写真(ズイカンシャシン) 魚部2巻』に「鯛之福玉」の図と説明がある(リンク先の左にある「目次・巻号」> 魚部2巻 [39] > 上のページ数「34/39」に「鯛之福玉」の図譜と説明、また「目次・巻号」> 魚部1巻[36] > 上のページ数「7/36」に「棘鬣魚(タヒ)」の説明あり)。ちなみにこのリンクから見られるのは安政5(1858)年の写本である。
長州之俗謂之鯛之咽虱而甚賞味如鯛在于鯛魚之口中呼福玉者含玉之畧語乎
漢字を追うだけでもある程度の意味は伝わってくるが、門外漢の筆者が我流で訳すと「長州の俗、之を鯛の咽虱(のどしらみ)と謂、鯛の如くこれを賞味す。鯛魚の口中にあり、これを福玉、略語で玉と呼ぶ」といったところか(専門家の方がいらっしゃったら是非お助け下さい)。また後述する『水族写真鯛部』の「鯛之福玉」の欄には上の文章がそのまま写されている。ちなみに『随観写真』の「棘鬣魚(タヒ)」の説明の項には「『周防国』で初めて採られたために『周』の魚となった」旨などが記載されている。周防国は現在の山口県東南部にあたり、「鯛の咽虱」を賞味していたという長州藩に属していたというのも(偶然の一致かも知れないが)興味深い。
《引用終了》
博物学古記録の読みが鮮やかに拡大してゆくところなど、まさに垂涎必見のブログである。
因みに当該白文は、
長州の俗、之を鯛の咽虱と謂ひて、甚だ賞味すること、鯛のごとし。鯛魚の口中に在り。「福玉」と呼ぶは「含み玉」の畧語か。
と訓読するものかと思われる。
本書の著者後藤梨春(ごとうりしゅん 元禄九(一六九六)年~明和八(一七七一)年)は江戸の本草学者・蘭学者で町医。本姓は能登国七尾城主多田氏であったが、父義方の時に後藤に改姓、本名は光生。江戸生。長じて田村藍水に本草学を修学、宝暦七(一七五七)年から同一〇年にかけて江戸と大坂で催された物産会に出品、明和二(一七六五)年には江戸の私立医学校躋寿館躋寿館(せいじゅかん)で都講(教頭)となって本草学を講じている。オランダの地理・暦法・物産・科学機器などを紹介した「紅毛談」は本邦初の電気文献とされる。これにアルファベットを載せたために幕府に絶版を命ぜられたとも伝えられるが、検討の余地がある。著書に「本草綱目補物品目録」「春秋七草」「震雷記」等(主に「朝日日本歴史人物事典」に拠る)。本書「随観写真」は動植物全体を収めた図譜であったが、現在流布しているのは魚部二百八十八品と介部六十八品を掲載する六冊のみ。当該「介部六」の掉尾には動植物を好んだ信濃須坂藩主堀直格(なおただ)の識語が附されている。
ああ……こうしているうちにもタイノエ食いたくなったわい!