耳嚢 巻之七 夢に亡友の連歌を得し事
夢に亡友の連歌を得し事
一橋公の御醫師に、町野正庵といへるあり。常に連歌を好みて同友も多かりしが、悴は洞益とて是は連哥抔は心掛ざりしが、或夜洞益夢に、親の連哥の友長空と言て三年以前身まかりしに與風(ふと)出會し、長空申けるは、我此(この)程連歌一句案じ出せしが、餘程よきと思ふなり、親人(おやびと)正庵え咄し相談給はれと言ける故、しらるゝ通り洞益は連歌に携(たづさはり)の事なし、認(したため)給はれと答へければ、矢たて取出し、
花の山むれつゝ歸る夕がらす
斯(かく)認め渡しけるを、請取(うけとり)見て夢覺ぬ。不思議にも其句を覺へ、殊に文字のかきやふ迄覺(おぼえ)けると、起出(おきいで)て紙のはしに夢みし通りを書(かき)て、親正庵に見せければ正庵横手(よこで)を打(うち)て、誠に長空今年三年季也、汝が寫せし文字の樣子の内、花といふ字は常に長空が人に違(たが)ひて書しさまなりと封して、同士を集め右の夕からすの句を發句として百員(ひやくゐん)を綴り、長空が追福(ついぶく)をなしけると也。
□やぶちゃん注
○前項連関:夢告霊異譚で直連関。一つ前の「伎藝も堪能不朽に傳ふ事」とも、尺八と連歌の技芸譚として繋がる。
・「町野正庵」不詳。幕末から明治にかけての華道家に同姓同号の人物がいるが、全くの偶然か。
・「洞益」不詳。号からして医師を継いでいるようである。
・「請取見て」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『請取(うけとる)と見て』。
・「横手を打て」感心したり、思い当たったりした際、思わず両方の掌を打ち合わすことをいう。
・「封して」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『歎じて』。そちらで採る。
・「百員」百韻。連歌・俳諧で百句を連ねて一巻きとする形式。懐紙四枚を用いて初折(しょおり)は表八句に裏十四句、二の折と三の折は表裏とも各十四句、名残の折は表十四句に裏八句を記す。
■やぶちゃん現代語訳
夢に亡き友の連歌を得た事
一橋公の御医師(おんいし)に町野正庵殿と申される御仁があられる。
常に連歌を好み、同好の知音(ちいん)も多かったが、その倅(せがれ)は洞益と号したが、こちらは連歌なんどは全く嗜まず御座ったと申す。
ある夜のこと、その倅洞益殿、夢の中にて、親の連歌の友であった長空と申し、三年以前に身罷った御仁に、ふと出会った。
夢の中の長空が言うことには、
「……我れら、この度(たび)、連歌を一句、案じ出だいて御座るが、よほどよきものと存ずるによって、親人(おやびと)の正庵殿へお咄し頂き、よろしゅうにご相談の儀、これ、給わらんことを……」
とのことで御座った。
[根岸注:既に示した通り、この洞益は連歌に関わったことは一切ない。]
そこで洞益殿、
「認(したた)めたものをお下し下さいませ。」
と応じたところ、長空はやおら矢立(やたて)を取り出だし、
花の山むれつゝ帰る夕がらす
と、認めて渡いたによって、それを受け取った――
――と見て、夢が醒めた。
不思議なことには、目覚めた後(のち)もその句をしっかりと覚えており、殊に文字の書きようまでもちゃんと記憶していたによって、即座に起きなおって、近くに御座った紙の端に、夢に見た通りのものを書いて、それを親の正庵に見せたと申す。
すると、正庵殿、
――ぱん!
と横手(よこで)を打って、
「……まことに! 今年は長空が三年忌じゃった! そなたが写したこの文字(もんじ)の様子のうち……ほれ! この「花」といふ崩し方を見ぃ! これは常に長空が人と殊更に違(たが)えて書いて御座ったのと、これ、全く! 同じ、じゃ!」
と殊の外、感嘆致いて……その日うちに旧知の同好の士をも集め、この「夕からす」の句を発句として百韻を綴り、長空の追善供養を成した……とのことで御座る。
« 大和田建樹「散文韻文 雪月花」より「汐なれごろも」(明治二七(一八九四)年及び二九(一八九六)年の鎌倉・江の島風景) 5 | トップページ | 明恵上人夢記 13 »