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2013/05/31

明恵上人夢記 17

この私の解釈――解釈している自分に何だかエクスタシーを感じたことを告白しておく――



17
 元久二年 神護寺槇尾に於いて、寶樓閣法を修して、佛頂(ぶつちやう)を讀す。
一、十月十一日、道場より出でて、初夜の時の後に學文等畢んぬ。丑の尅(こく)許り、熟眠す。夢に云はく、此の住房に小兒五六人許りを置けり。然るに、四五人許り學問處に在り。今一人、持佛堂之方より足音來(く)。障子を引き開き、宿物(よるのもの)を引き擧げ、中に入りて臥す。生絹の如くなる物を著たり。我が心に淸涼の心地す。覺めて後、又悦喜太(はなは)だ深しと云々。

[やぶちゃん注:「元久二年」西暦一二〇五年。明恵満三二歳。この年の初めに明恵は再度の天竺渡航計画を断念している。底本注に、ここより「41夢」までは、『「明恵上人夢の記〔九紙〕」と外題ある一冊』とある。
「槇尾」三尾(北へ向かって高雄(高尾)・槇尾・栂尾)の一。現在は高雄の神護寺、槇尾の西明寺、栂尾の高山寺として知られる。それぞれが京都屈指の紅葉名所でもある。
「寶樓閣法」宝楼閣経法。諸尊が住む楼閣を讃え、その陀羅尼の功徳を説いた唐の不空訳になる「宝楼閣経」(ほうろうかくきょう。正式には「大宝広博楼閣善住秘密陀羅尼経」という)三巻に拠って滅罪・息災・増益などを祈る修法をいう(中経出版「世界宗教用語大事典」に拠った)。底本注に、『釈迦如来のいる楼閣を中央に描いた曼陀羅を掛けて行う』とある。
「佛頂」大仏頂陀羅尼。底本注に、『仏頂呪。楞厳経の中の大仏頂の悟りの徳を説いた陀羅尼』とある。「楞厳経」は「りょうごんきょう」と読み、大乗仏典の一つ(正式には「大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経」という)唐の則天武后の時代(六九〇年~七〇四年)にインド僧が口訳したものを流謫中の宰相房融が筆録したとされる。早くより偽経の疑いがあり、現在は、当時の新興勢力であった禅や菩薩戒・密教の教義を仏説の権威を借りて総合的に主張しようとしたものとされている。「楞厳」とはクマーラジーバ(鳩摩羅什)訳の「首楞厳三昧経」と同様、「堅固な三昧」の意である(「楞厳経」については平凡社「世界大百科事典」に拠る)。
「初夜の時」この場合は六時の一つである戌の刻(現在の午後八時頃)に行う勤行。
「丑の尅」午前二時頃。]

■やぶちゃん現代語訳

17
 元久二年。神護寺の槇尾に於いて、宝楼閣法を修して、大仏頂陀羅尼を読み上げる。
一、十月十一日、その日の修法を終えて道場より出でて、いつも通りの初夜の勤行をなし終えた後、少し必要があった調べ物などをもし終え、丑の刻頃になって、やっと就寝した。その時の夢。
「現在の私の住房に、童子を五人か六人か、養っているのである。
 その内の四、五人は学問所で修学に励んでいる。
 ところが、その欠けている今一人の童子が、丁度、その時、持仏堂の方より走って来る気配がするのである。
――とんとんとんとん――
と、廊下を軽やかに走って来る足音が聞こえてくる。
……と……
――さっ
と、部屋の障子を引き開いたかと思うと、
――ぱっ
と、夜着を引き挙げたかと見るや、
――くるん
と褥(しとね)の中にすっかり包(くる)み入って臥した。
 その童子は如何にも柔らかく美しい生絹のようなる物を着ていたのだけが分かった。
 その顔貌(かおかたち)も、いや、姿さえも――実はよう、見えなんだ。
 しかし、その童子が部屋に入って夜具に入るまでのその刹那――我らが心は、えも言われぬ清々しい心地に満ち満ちたのであった。」
 目覚めた後も、またずっと、その喜悦が、とても深く、持続していたのが実に印象的であった。

[やぶちゃん注:その日の昼間の修法でやったことを簡潔ながらも具体的に記して、就寝に至るまでの仔細を記載していること、覚醒後も非常に強くその論理的な因果関係の不明な摩訶不思議な法悦のエクスタシーが持続したことを特に注記している点でかなり特異点にある夢である。宝楼閣法、大仏頂陀羅尼そして明恵が初夜の行法の後にした何かの調べ物――それらが総てこの夢と関連付けられている(と明恵は思っている)と考えて差し支えあるまい。
 また、その一少年が教学を学んでいる残りの少年たちのいる学問所(教学という理学)からではなく、持仏堂(仏法の真相)から明恵のいるところへと確かな足取りで速やかにやって来るというのも何か如何にもという設定である……待て?……そもそもこの時実は明恵はどこに「居る」のであろう?……私は実は、明恵はその障子のある部屋で横臥しているのではないのか、と思うのである。……即ち、この少年は今、まさにその明恵の褥に鮮やかに同衾しているのではなかろうか?……この少年の顔貌が語られぬにも拘わらず、最後に「生絹の如くなる物を著たり」と描写出来るのは、実は子宮の中の胎児のように褥の中にすっぽりとくるまった少年を、同じくそこにくるまっている少年の双子の胎児の如き明恵が、目と鼻の先で見ているからではないか?……いや! かく表現し得る場所はそこしかないんではないか?!……そしてその着衣は胞衣(えな)のような(!)「生絹の如くなる物」なのである!……ああ!……これはまるで……“2001: A Space Odyssey”のあの衝撃のラスト・シーンではないか!!……]

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