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2013/05/10

耳嚢 巻之七 伎藝も堪能不朽に傳ふ事

 伎藝も堪能不朽に傳ふ事

 

 京橋邊に、琴古(きんこ)とて尺八の指南をして、尺八をひらく事上手也。其業をなす者に尋(たづね)しに、琴古が拵へし竹(ちく)は、格別音整調子共宜敷(よろしき)よし也。元祖琴古竹を吹(ふき)て國々を扁歷(へんれき)し、或(ある)在郷の藪にて與風(ふと)名竹と思ふを見出し、せちに乞求(こひもとめ)て是を竹に拵へ吹ければ、在方なれば唄口へ入(いる)べき品もなく、唯切そぎて唄口を拵へ吹けるに、其音微妙にして可稱(しようすべく)、是を以日本國中を修行せしに、尺八の藝も琴古に續(つづく)ものなく、長崎にて一圭といへる者、其藝堪能なりしに、其比(そのころ)是も出會(であひ)のうへ兩曲合せけるが琴古には及ざる由。今に右の竹は當琴古が家に重物(じふもつ)として、執心の者には見せもするよし。元租琴古も當時の琴古より貮三代も以前のよし。元祖のひらきし竹も今に世に流布し殘ると也。裏穴際に琴古と代々名彫(なぼり)をなす由人の語りける。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特にないが、何か、鉄棒と尺八、裄を切るのと竹を切る仕草、「貮三代以前」と「貮三代も以前」の言葉遣いなど、不思議にしっくりと繋がる。「耳嚢」に多い技芸譚である。

・「堪能不朽」「堪能」は「かんのう」(「たんのう」とも読む)で、深くその道に通じていることをいう。

・「ひらく」岩波版で長谷川氏は、『初めて使うこと。後文のように竹を見立てて尺八に仕立てることをいうか』と注されておられる。これを現代語訳では頂戴した。

・「竹(ちく)」タケ製の笛。無論、「たけ」と読んでも同じ意味があるので構わないが、私の好みでは「ちく」である。

・「音整」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『音声』であるが、この字面であると音色とその調べ(調性)などの意へと膨らんでいる感じがする。

・「元祖琴古」初代黒沢琴古(宝永七(一七一〇)年~明和八(一七七一)年)本名黒沢幸八。黒田美濃守家臣であったとされる。若くして普化宗に入り、一月寺、・鈴法寺の指南役を務め、曲の収集整理を行って、琴古流として三十余りの曲を制定、普化宗尺八の基礎を築いた。実子が二代目琴古、弟子には一閑流の宮地一閑がいる(以上はウィキ黒沢琴古に拠る。二代三代はリンク先を参照されたい。ただ、そこにはこの尺八家元の名跡琴古流は四『代目が没して以降途絶えているがその後も何人か継いだが何代続いたか不明』とあって、「堪能不朽」の語がやや淋しく感じられはする)。

・「扁歷」底本には「扁」の右に『(遍)』と傍注する。

・「與風(ふと)」は底本のルビ。

・「是を竹に拵へ吹ければ」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では。『是を竹に拵へけれど』で、文脈上はこちらがよい。ここはそれで訳した。

・「唄口」この当時、尺八の唄口(歌口)に何を挟んでいたかは分からない(文脈上はもとは尺八には歌口に何かを挟まねばならなかったようにしか読めない)。しかし、「泉州尺八工房」の歌口研究 1には、本来、尺八は元々自然の形状を利用して作られており、歌口近辺が二〇ミリメートル程度の内径を持った竹の節を抜いただけの単純な楽器で、『歌口開口部も竹の自然な形状によって様々な形になっていた。近年大量生産をするようになり内部に施した「地」と呼ばれるパテ状の漆を一回で削り取る器具を使うようになると、開口部は円である必要が出てきた』とあるから、尺八の原型では実は歌口には何も挟まなかったように読める(ケーナの古形のものを見てもそれを私も支持する)。同記載にはさらにまた、歌口は現代では『竹まかせの時代から形状の統一の時代にはなったが、いずれにしても演奏上の人間の立場に立った変化ではなく、あくまで制作上の都合である』とある。ウィキ尺八によると、『歌口は、外側に向かって傾斜がついている。現行の尺八には、歌口に、水牛の角・象牙・エボナイトなどの素材を埋め込んである』そうである。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 技芸も堪能(かんのう)不朽に伝えるものであるという事

 

 京橋辺に、『琴古』(きんこ)と称する、尺八の指南を致いて、尺八を「ひらく」こと――原木の竹を見立てて、尺八に仕立てる上手が御座る。

 尺八で生業(なりわい)をなす者に尋ねたところ、『琴古』が拵えた尺八は、音色やその調べ、吹き具合ともに、格別によろしい由、聞いて御座る。

 元祖琴古は尺八を吹いて諸国を遍歴致いて御座ったが、ある在郷の藪の中(うち)にて、ふと、名竹と思わるる一本を見出し、切(せち)に乞い求めて、これを尺八に拵えてみたが、出先の田舎でのことなれば、歌口へ入るることの出来る品も、これ、御座なく、ただ切り削いで歌口を拵え、そのままに吹いたところ、その音(ね)、微妙にして、美事なるもので御座ったゆえ、これを持って日本国中を修行して巡ったと申す。

 具体な尺八の吹奏術の技芸に於いても、この琴古に匹敵する者は御座らなんだ。

 長崎にて一圭(いっけい)と申す者が、深く尺八の芸に通じておると評判で御座ったが、その頃、この者とも出会(でお)うたによって、二人それぞれに曲を奏して競うてはみたものの、一圭も流石、この琴古には及ばなんだ由にて御座る。

 今にその尺八は、当琴古が宗家に重物(じゅうもつ)としており、尺八に精進する者には見せもする、とのことで御座る。

 元租琴古と申すは、これ、現在の琴古よりも二、三代も以前の御仁なる由。

 元祖が製したところの、この自然な竹をそのままに用いた尺八――歌口に何も挟まぬ尺八も、これ、今の世に流布して残っておるとのことで御座る。この形の、宗家にて製する尺八の裏穴の際(きわ)には、代々、必ず『琴古』と名彫(なぼ)りをなす由、人の語って御座った。

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