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2013/05/19

大磯ノ海 萩原朔太郎 (自筆自選歌集「ソライロノハナ」より)

 

 

愚ろかなる叛逆心と、耐え難い孤獨の寂寥と自殺的の腦鬱と、忌はしい情慾の刺激と失意と煩悶と總てさういふ混亂(こんが)らかつた心の壓迫が私を海の方へと導いた。

 

 

 大磯よ汽車にのりたくなりたれば

 

 海が戀しくなりたればきぬ

 

 

冬の磯邊には靜寂の境趣が漂ふて居た。

 

力のない午後の日光を浴びながら漁師の家族はそここゝに投網を編んで居た。病人らしい都の人が物憂げに遠い濱邊を步いて居るのも淋しく思はれた。

 

 

 氷りたる二月の海の潮鳴を

 

 泣きて聽かんと來しにあらねど

 

 

 怖れつつ都をのがれ海に來て

 

 潮鳴る音に心悲しむ

 

 

疲れたる漂泊者のする樣に私は例の砂山に寢ころんで海を眺めた、

 

空はよく晴れ渡つて生ぬるい砂は擽るやうに私の掌の中から指の間をすべり落ちた、

 

 

 死ぬること思ふ哀しさ生くること

 

 思ふさびしさ海に來て泣く

 

 

 海の音きゝつゝ砂に寢ころびて

 

 空を見て居れば泣きたくなりぬ

 

 

海には帆を張つた漁船も二つ三つならずはしつて居た

 

あはれその蒼々たるわだつみの色よ

 

 

 砂山にまろびて我が思ふこと

 

 知れば鷗も哀しみて鳴く

 

 

砂丘をつたはつて小磯へ行つた

 

 

 砂原の枯れ艸の上をわが行けば

 

 虫力なく足もとに飛ぶ

 

[やぶちゃん注:この一首は、朔太郎満二十四歳の時、『スバル』第三年第四号(明治四四(一九〇三)年四月発行)の「歌」欄「その四」に「萩原咲二」名義で掲載された五首の内の一首、

 

 砂山の枯草の上を我が行けば蟲力なく足下に飛ぶ

 

相似歌である。] 

 

音もなく影もない小磯の濱には干からびた筆草ばかりが昔ながらに生へて居た。私はその赫土の上に身を投げて稚子のやうに聲をあげて啜り泣いた

 

いつのまにかたそがれ時のうすら寒い潮風が淚にぬれた私の頰を吹いて居た

 

 

 小磯なるかの砂山に忘れしは

 

 草も棝るべきつめたき淚

 

 如何ならん小磯が濱の筆くさは

 

 根を絕えぐさと思はざりしを

 

 

五年まへの夏、希望に輝やく瞳を以て此處の松林の中から太洋の壯嚴を祝した紅顏の少年は頽唐の骸骨となつて長い漂泊の旅から歸つて來た。今見る海の色にもまして靑ざめたるその顏色よ。

 

 

 きのふまで少女の群とバルコンに

 

 歌をうたひし我ならなくに

 

 

 五(いつ)とせのむかし女を戀したりき

 

 その頃のことすべて美くし

 

 

 海ちかき濤龍館のおばしまに

 

 立つは月の出待つに似たれど

 

 

 不孝なる繼子(まゝこ)の如く世を怖れ

 

 かつは怨みて仇をたくらむ

 

 

さびれきつた冬の海水浴町にも流石に夜の灯(ともしび)は紅くにほつた

 

ところの流行唄を彈くとき何故(なぜ)か悲しい眼附をして私にあることを訴へたのである

 

 

 かの少女唄をうたへば悲しめる

 

 我も冷えたる盃をあぐ

 

 

 うれひつゝある少年と知るよしも

 

 なければ彼はいそしみて彈く

 

 

 少年の心をそゝる仇言も

 

 たゞに悲しみ空耳にきく

 

 

 美しき言葉すくなの少年よ

 

 かく言ひかれは嫋(なま)めきてきぬ

 

 

 海に來て泣きてかへらん我ぞとは

 

 いかで知るらん昨夜の少女は

 

 

 美しき海の少女と寢し故に

 

 潮の香あびしにほひこそすれ

 

 

されど飽和したやうな重い心の沈滯を海へ來て釋かうとしたのは愚かであつた

 

翌る朝、私は漂然として其處を立つた。どこまでも靜をいとふて動を愛する私は生れながらに漂泊の運命をもつて居るのではあるまいか、

 

それは兎も角、此の氷れる冬の海に來て悲しむよりは、熱鬧の巷の中に耽溺の痛ましい快樂を貪(むさぼ)つて居る方が、まだしも幸福といふものであろう、

 

一夜にして私は大磯の海に告別した

 

 そのかみの虎が淚も悲しめる

 

 この少年を濡すよしなし

 

               (大磯ノ海、完)

 

[やぶちゃん注:昭和五三(一九七八)年筑摩書房刊「萩原朔太郎全集」第十五巻所収の自筆自選歌集「ソライロノハナ」の一九一一年二月のクレジットを持つ「二月の海」より(同章は、この後に、先に示したエレナ追悼の「平塚ノ海」という作品と二つで構成されている)。以上の通り、末尾に「(大磯ノ海、完)」として前に標題を置かない。取消線は抹消を示す(くどいがこの歌集は自筆肉筆本である)。太字「あること」は底本では傍点「ヽ」。概ね自筆本そのままに電子化することを目指し、「耐え」「腦鬱」「そういふ」「生へて」「輝やく」「太洋」「漂然」「といふものであろう」といった文脈からあまり違和感なく読めてしまう誤字や句読点及びその有無も多くはママとした(底本の校訂本文では仮名遣や送り仮名・漢字の誤りは勿論のこと、句読点もすべて『完璧に』整序されてしまっている)が、この詩にはかなり鑑賞に際して著しい違和感を生ずる誤字誤用が認められるため、私の判断で次の十一箇所十二点について以下のように変更した(なお、この変更は総て底本の校訂本文でも採用されているものであるから、殊更に独断的な変造とは思っていない)。上が底本で(→)以下が訂正したものである。

 

●禺ろかなる→愚ろかなる(萩原朔太郎の自筆稿にしばしば見られる誤字である。以下にももう一箇所ある)

 

●矢意→失意

 

●※車(「※」=(へん)「米」+(つくり)「気」)→汽車(次の「平塚ノ海」でも用いられている奇体な字体)

 

●そここゝに投網を編んで居た→そここゝに投網を編んで居た。(句点なしでは極めて読みにくい)

 

●干からびた筆草ばかりが昔ながらに生へて居た→干からびた筆草ばかりが昔ながらに生へて居た。(句点なしでは極めて読みにくい)

 

●棝るべき→枯るべき(「棝」は音「コ・ク」訓「ねずみおとし」で鼠を捕る仕掛けの謂いで枯れる・涸れる(朔太郎はしばしば枯れるの意に「涸れる」を用いる)の謂いはない)

 

●寄望→希望

 

●嫋(なま)めてきぬ→嫋(なま)めきてきぬ(音数律からも脱字と判断される)

 

●海へ來て釋かうとしたのは禺かであつた→海へ來て釋かうとしたのは愚かであつた

 

●翠る朝→翌る朝

 

●貧(むさ)つて居る→貪(むさぼ)つて居る(漢字の誤りとルビの脱字の二箇所)

 

 以下、老婆心ながら語注しておく。

 

○「擽る」は「くすぐる」と読む。

 

○「筆草」単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ科スゲ属コウボウムギ Carex kobomugi の和名異名。

 

○「濤龍館」底本には『これは「濤瀧館」の誤記かも知れない』という注があるが、その根拠(平塚に濤瀧館という旅館があったというような事実)は示されていない。

 

○「釋かうとした」は「とかうとした」と読み、「解こう」(散らす・消す)の意である。

 

○「熱鬧」は「ねつたう(ねっとう)」と読み、人が込みあって騒がしい、の意である。

 

 本作と次に掲げる「平塚ノ海」との関係に関心のある向きには、この部分に就いて久保忠夫氏が「萩原朔太郎歌集『空いろの花』贅注――「大磯ノ海」の少女」(『短歌』昭和五六(一九八一)年三月)で行った論考を批判する形で書かれた渡辺和靖氏萩原朔太郎――「詩篇」ら「浄罪詩篇へ」(一九九〇年刊愛知教育大学研究報告三十九所収)の『(4)「二月の海」の少女』を参照されるとよい。]

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