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2013/05/26

耳嚢 巻之七 同病重躰を不思議に扱ふ事

 同病重躰を不思議に扱ふ事

 

 是も柴田玄養の物語の由。或家の小兒、至(いたつ)ての重き疱瘡にて面部口の廻り共に一圓にて、貮歳なれば乳を呑(のむ)事ならず。纔(わづか)に口のあたり少しの穴ある故、彼(かの)穴より乳をしぼり入(いれ)て諸醫療治なせど、誰(たれ)ありて□といふ者なく各斷(おのおのことわり)なるよし。彼小兒の祖母の由、逗留して看病なしけるが、立出て玄養に向ひ、此小兒御藥も給りけるが全快なるべき哉(や)、諸醫不殘御斷(のこらずおことわり)の樣(やう)、藥給る處は御見込といふある哉と尋ける故、我迚(われとて)も見込といふ事はなし、強(しひ)て兩親の藥を乞(こひ)給ふによりあたへしと語りけるに、然る上は御見込もなく十死一生(じつしいつしやう)の者と思召(おぼしめし)候哉、然らば我等療治致(いたし)候心得有間(あるあいだ)、此段申(まうし)承るよしに付、實(じつ)も十死の症と存(ぞんず)る由答へければ、あるじ夫婦を呼びて、是迄醫者衆も不殘斷(のこらずことわり)にて、玄養とてもあの通りなれば、迚も不治ものにあらず、然る上は我に與へ、心儘(こころのまま)になさしめよ、若(もし)、我(わが)療治にて食事もなるべき口つきならば可申上(まうしあぐべし)と玄養えも斷(ことわり)て、彼小兒風呂敷に包(つつみ)、我へまかせよと宿へ立歸りし故、玄養はけしからぬ老女と思ひ捨て歸しが、翌日、彼小兒乳も呑付(のみつけ)候間、療治給り候樣申來(まうしこす)故、驚(おどろき)てかの許(もと)へ至りしに、彼老婆の語りけるは、迚も不治(なほらざる)者と存(ぞんずる)ゆへ、宿元へ歸り湯をあつくわかし、彼小兒を右の湯へ入(いれ)、衣類澤山にきせて火の邊(あたり)に置(おき)てあたゝめしに、一向に出來(いでき)し痘瘡ひゞわれて、口の所も少し明(あ)ける故、乳を付(つけ)しに給(たべ)付(つけ)たると語りしが、かゝる奇成(きなる)事もありしと語りける。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:小児痘瘡奇譚柴田玄養発信二連発。この祖母はおばあちゃんではない。ラスト・シーン、乳が出る程度の、今なら相当に若い女性である。私はこの話が、しみじみ好きである。

・「同病重躰を不思議に扱ふ事」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『疱瘡の重体を不思義に救ふ事』とある。

・「□といふ」底本では「□」の右に『(諾カ)』と傍注する。それで採る。

・「十死一生」殆んど助かる見込みがないこと。九死一生をさらに強めた語で、「漢書」の「外戚伝」に基づく。

・「迚も不治ものにあらず」底本では「不」の右に『(可カ)』と傍注する。それならば「治るべきものにあらず」で意味が通る。それで採る。因みに岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『迚も可活(いくべき)ものにもあらず』とあって、こっちの方が自然ではある。

・「一向に」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『一面に』。

・「給(たべ)」は底本のルビ。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 同じく痘瘡の重体の児童を不思議に扱って命を救った事

 

 これも柴田玄養殿の物語の由。

 

……とある家の小児、至って重い疱瘡にて、面部・口ともに一面に膿疱が重なった瘡蓋となって、酷くくっ付き、固まってしまい、いまだ二歳のことなれば乳を呑むこともならずなって御座った。僅かに口の辺り、瘡蓋の山の間に、少しだけ穴のようなものがあったによって、その穴より絞った乳を流し入れては、辛うじて授乳させておる始末で御座った。

 諸医、療治なしたれど、あまりにひどい痂(かせ)なれば、誰(たれ)一人として療治せんとする者とてなく、頼んだ医師、悉く皆、断ったと申す。

 かの小児の祖母なる者、その家に逗留して看病して御座ったが、ある日――両親のたっての望みなれば、我ら仕方なく、この小児の療治をなして御座ったが――その我らの傍らへと出でて参り、我に向こうて、

「……この小児……お薬も戴いておりまするが……全快致すもので御座いましょうか?……他のお医者さまは、皆……残らず療治をお断りになられたとのこと……先生は、かくも、お薬を処方致いて下さいます上は……これ、見込みのあると……お思いにて御座いましょうか?……」

と訊ねて参りましたゆえ、

「……我とても――見込み――といふことは、これ、残念ながら御座らぬ。……強いてご両親が薬だけでもと切(せち)に願われたによって、言われるがままに、効き目もあまり御座らぬながら、せぬよりはましと薬を処方致いておる次第……正直申し、それが実情で御座る。……」

と語ったところ、

「……しかる上は……それは……実は快癒のご賢察も、これ、御座なく……十死(じっし)一生の者と、内心は思し召しになっておらるるので御座いましょうや?……しからば……我らに一つだけ、療治として致してみたき心得の御座いますれば……それに附き……一つ、本当のところのお見立てを、これ、申し承りとう存じまする……」

とのことなれば、酷いとは存じたれど、

「……正直……とてものこと、助かりよう、これ、御座ない病態と、存ずる。……」

と率直に答えました。

 すると、その祖母、急に主人(あるじ)夫婦を呼び寄せ、

「……これまでの医者衆も、これ、残らず匙を投げた!……今、この玄養さまにもお伺いを立てたところ、『この通りなれば、とてものことに癒ゆることも、生き残ろうはずも、まず、これ、ない』とのことじゃ!……かくなる上は、この子を我らに任せて、我らの思うがままにさせて、お呉れ!……玄養さまにおかせられては、もし、我らが療治をなして、口の辺りの、乳なんども吸わるるようになるようなことが御座いましたならば、また、その後の療治方について、ご処方なんどお受け致したく、その折りにはまた、改めてお願いに上がりまする。……さればこそ、今日までのご療治は有り難く存じまして御座った。……」

と、我らへも療治の終わりを一方的に告ぐるが早いか、かの小児を大きな風呂敷に包むと、

「――我らに任せよ!――」

と両親に言うと、小児を背負って実家へとさっさと帰ってしもうたので御座る。

 我らも、鳩が鉄砲玉を喰らったようなもので、暫く手持無沙汰のまま、向かっ腹も立って参りましてな、

『……如何にも失礼千万な老女じゃ!……』

と不快に思うて、困って平身低頭して御座った若夫婦を尻目に、そそくさと自邸へ帰って御座った。

 ところが、その翌日、かの若夫婦の所より使いの参って、

「――かの小児、やっと乳も飲みつけるようになりましたによって痂(かさ)の後(あと)療治を給りますよう、お願い申し上げまする――」

申し越して参りましたから、これには、我らも吃驚仰天、とり急ぎ、かの若夫婦の元へと往診致しましたところが、

……これ……

……かの小児……

――元気に若妻の乳を含んで、美味そうに吸うて御座いましたのじゃ。

 傍に御座った老婆は、

「……昨日のまことに失礼なる仕儀、これ幾重にもお詫び申し上げまする。……ただ、まっこと、玄養さまのお見立ての通り、とてものことに治らぬ者と存じましたによって、我が実家へと連れ帰りまして、湯を熱く沸かし、その小児をその湯へ入れ、衣類なんどもたんと着せ、さらに囲炉裏火(いろりび)の近くに置いて、十分に温めてやりましたところが……さわに出て御座った痘瘡の痂(かさ)が、これ、みるみる乾いて罅(ひび)割れ、口の辺りにても、少しばかし、大きに開きましたゆえ、即座に我らが乳を宛がってやりましたところ、まあ、ちゅうちゅうと吸いつき、力強う、飲み始めまして御座いました。……」

と深々と礼をなして語って御座いました。……

 ……いや、実にこのような、医の常識の及びもつかぬ奇妙なことも、これ、時には御座いまする。……

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