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2013/05/04

孤獨の旅人 萩原朔太郎

 孤獨の旅人 

 

 苦惱時代について書けといふことだが、私の生涯は永遠の苦惱時代だ。しかも永遠に、だらだらと續いてゐる苦惱時代であるから、山頂もなく峠もなく、無限につづく恐ろし曠野のやうなものである。私は時々、この曠野の中に立つて考へる。見渡す限り、涯しもない地平の向うを眺める時、言ひやうもない恐怖に慄然としてしまふ。

 私の生涯の運命は、友もなく仲間もなく、ただ一人で曠野をさまよふ孤獨の旅人のやうなものである。いつも人生は、私にとつて荒寥としたものに感じられる。どうして、何故に、私はこんな悲觀的な景色ばかりを見るのだらう。種々な複雜な事情が、それの原因として考へられる。だが私の場合についてみれば、あらゆる運命悲劇の第一基因は人の生れついた氣質性格に屬して居り、環境の變化にかかはらず、宿命的に一貫してゐる如く思はれる。換言すれば、私のやうな性格氣質に生れついた人生は、どんな惠まれた境遇の下にあつても、常に一貫して苦惱時代のみを續けるだらう。

 私の場合について見れば、悲劇的性格の主なる特色は、人と變つてゐるといふことにあるらしい。融合は多數の人の共同組合であるから、萬事の組織が多數決によつて出來あがつてゐる。たとへば衣服の風俗、家具の形狀等のやうな些々たる日常品ですらが、大多數の人々の利便に適するやうに、即ち一般の利便『一般の趣味』を標準として作られてゐる。だから人と變つた特殊の人間、たとへば身長のズバぬけた巨人にとつては、普通の衣服や家具は使用に通せず、汽車に乘つても頭がつかへ、戸口をくぐるにも窮屈であり、萬事不愉快な生活をせねばならぬ。

 ただ身長が高いといふこと、肉體の大きさが少しばかり一般人(大多數者)と變つてゐるといふだけで、これだけにも不快不便の生活をせねばならぬ。況んや氣質や性格の本質で多少一般人と變つた人は、生活のあらゆる點で根本から不幸であり、絶えず社會と衝突し、大多數者と反目し合はねばならなくなる。何となれば今日の社會は、組織のあらゆる隅々まで、常に『公衆』と稱する大多數者の共有利便を主としてゐるからである。之れが『個人主義の社會』と言はれる、今日の資本主義的社會に於てさへさうである。況んや大多數者の平等利便を説く共産主義や社會主義の世になつたら、私のやうな人間は自殺するより他に道がなからう。

 それはとにかくとして、所詮私の生涯は苦惱時代の連續である。それは無限に連續した曠野の道で、どこが終りといふこともなく、どこが始めといふこともないけれども、時に或は多少の高低や凹凸がある。しかもその高低凹凸は、時々の事情によつて内容の種類を異にしてゐる。即ち或る時は家庭上の問題で、或る時は結婚や異性との問題で、或る時はまた藝術上や思想上やの問題で、夫々苦惱の内容を別にしてゐるが、畢竟ずるにどの場合も、根本におけるものは同じ私の性格であり、同じ一貫した運命主題のバリエーションに外ならない。ただ時々の環境と事情によつて、直接ぶつかつて來る題目の形がちがふばかりである。最近二三年間の私は、種々な意味で生活上の重大な過渡期に立つてる。東京に移つて來てから、故郷の田舍に居た時のやうな安靜と平和とが、物質的にも精神的にも、生活のあらゆる樣式から消えてしまつた。(したがつて私には、もはや昔の『靑猫』のやうな詩を書くことはできないだらう。)私の内的心境は、今や何かの新しき轉磯に向はうとして、混亂動搖の極に達してゐる。今の私の生活は、美や藝術を生むべくあまりに雜音的のものである。私は嵐の中にゐる。何物も創造されない所の、藝術前派の動搖期にゐる。實に最近二三年間、私は殆んど全く詩を作らず、何等の藝術品らしきものを書いて居ない。今後と雖も、私の中の嵐がしづまり、生活が創造的に完成するまで、決して私は藝術を生まないだらう。

 苦惱時代。もしその言葉が適應であるならば、或る意味で最近の私は、正に最も強いアクセントをそこにつける。

 

[やぶちゃん注:『若草』第四巻第二号・昭和三(一九二八)年二月号に掲載された。初出形では三箇所の違いがあるが、総て誤植と判断されるので、底本(筑摩版全集第八巻)の本文に従った。本作は同雑誌の特集「私の苦惱時代」中の一篇である旨の注記が底本の初出雑誌一覧に附されてある。朔太郎はこれに先立つ三年前の大正一四(一九二五)年二月に妻子と上京している(身邊雜記の私の注を参照)。この年の十二月に、構想草案から十年に及んだ「詩の原理」を上梓しているが、本格的な詩歌群の発表は、最後となった詩集「氷島」(この六年後の昭和九(一九三四)年刊)までなかった。

……朔太郎よ……君は日本主義者の仮面をつけることで、「自殺するより他に道がな」いはずの国粋主義の社会さえしぶとく生き抜いたではなかったか?……「自殺するより他に道がな」いとして、前年に自死した芥川龍之介は……君自身よりも君の節に忠実に従ったということを認めずんばなるまい?……]

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