栂尾明恵上人伝記 29 高山寺を興す/北斗七星の神人来臨す
建永元〔丙寅〕年十一月後鳥羽院より院宣を成し下されて、高雄の一院栂尾を給はりぬ。則ち此の處を華嚴宗興隆の勝地と定む。仍て高山寺と號す。
[やぶちゃん注:「建永元〔丙寅〕年」西暦一二〇六年。]
同年極月(ごくげつ)の比、月輪(つきのわ)の禪定殿下より世俗の爲の祈(いのり)にてはあらで、聯か願あるに依つて、星供(ほしく)を七ケ日修行有るべき由懇切に仰(おほせ)あり。辭し給ひ難きに依つて是を修し給ふ。始め兩三座の程は、上人自ら是を修し給ふ。爰に靈典(りやうてん)承仕の役勤仕(ごんし)して一二間の外に住するに、後夜の時蠟燭の尅限(こくげん)に至て、道場に入らんとするに、北方の空中より貴俗十餘人寶冠を戴き白服を着して來入す。暫く有つて又空中に還歸し給ふ。後日に北斗の圖像を見るに、其の姿少しも違はず。さては北斗七星等の親(まのあた)り降臨ありけるにこそと希有に覺えき。
[やぶちゃん注:「月輪の禪定殿下」九条兼実。
「星供」星祭(ほしまつり)・星供養。主に密教で災いを除くために個人の当年星(とうねんじょう:当年属星ともいう)と本命星(ほんみょうじょう)を祀る祭り。密教の占星術では北斗七星の七つの星の内の一つをその人の生まれ星として本命星と定め、運命を司る星と考える。また、一年ごとに巡ってくる運命を左右する星を「当年属星」と呼んで、これらの星を供養して個人の一年間の幸福を祈り、災いを除く。一般に旧暦の年の初め(立春)に行われることが多い(以上はウィキの「星まつり」に拠る)。試みに調べて見たところ、建永元年は年内立春で旧暦十二月二十九日が立春であることが分かったので本文の記述に合致する。]