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2013/05/11

淺草公園の夜 萩原朔太郎

 

 夜の淺草公園の夜→女

 

     ――散文詩――

 

淺草は大きなへ行つてみろ、

電流コイルの旋囘だ、亂無二の乞食紳士のゔあるつらんさあだ、汝の圓筒帽をして白日まつぴるまのやうに輝かしめる世界だ、淺草だ、兄弟、おい腕をかせ、醉つぱらつて街を步かう、二人で一所に步かう、

みろ、窓の上には憔悴した螢が居る、汝の圓筒帽を捧げ光らせ、巷路ぢうにぴよぴよいちめん光る裸體ガラスの菫百合を見よ、ぴいぴいと鳴いて居る菫のあまつちよにキスきすを送れ、兄弟、腕をかせ、二人で一所に歩かう、

それみよ、汝のすきな裸體がある、すつぱなで靴をはいて居る狼の幽靈だ、→《》三角帽子の御姬の行列を拜みませう→三角帽子の御姬樣の行列だ、玉乘の御姬樣だ、ふんすゐが消えてしまつた、まつくらなみろ、純銀のよつぱらひの哀しい、むらさきの遠い路だ、淺草公園、活動寫眞、疾患いるみねえしよんの疾患齒痛の遠い遠い路だ、兄弟、おい腕をかせ、二人で一所におい步かうぜ、

塔はエレキだ、十二階みろ、尖塔の上で殺人事件が行はれる、靈性の精靈エレキの感電だ、あぶないから逃げろ、早く逃げろ、やせぎすの狼を飢えた狼が聖

みろこのすばらしい淺草公園六區の尖塔の夕晩景を、遠いエレベータアは夢遊病者の→はで滿員です

逆かにつる

きけおれの生れない息子が泣いて居る、生れない息子が

おゝ兄弟、汝の機械を出た、それへビイを指をあてろ

琲珈の美女をして長い淫行に絕息せしむこのるところの鋼鐡の機械はいぷだ、秘密觀樂

おどれ、おどれ、電燈を椅子をひつくり返しておどれ、お前の指は血だらけだ、みんなが女の乳に抱きついてタンゴをやれ、女のさかづき女の金粉のヒソを光らせ、タンゴをやれ、光るどの娘の手も血だらけだ、

汝の肉感纖細なそして肉感的の足どりでタンゴをやれああ

ああ兄弟、貴樣は怖るべき殺リク者だ、

みろ、その靑白い手が血だらけだ、

ああ兄弟、御前の殺リクをやめろ

公園六區の月夜を怖れる、疾患から、

みろ靑白い月夜に

世界公園中は螢だ、

いちめんの靑い螢だ、

兄弟、腕をかせ、哀しいけれどから池をこゑて二人して步かうぜ、

汝の圓筒帽がまつぴるまのやうにかゞやく、 

 

[やぶちゃん注:底本第三巻「未發表詩篇」の「散文詩・詩的散文」冒頭に所収。底本第三巻「未發表詩篇」の「散文詩・詩的散文」に所収。取り消し線は抹消を示し、下線部はそれに先立って抹消されたものである。「→」の末梢部分は、ある語句の明らかな書き換えがともに末梢されたことを示す。「きす」の太字は底本では傍点「ヽ」。なお、「汝の肉感纖細なそして肉感的の足どりでタンゴをやれああ」から「いちめんの靑い螢だ、」までは、セットでそれ全体が全抹消されてあるらしい(底本ではそのような記号になっている)。

「圓筒帽」これは一般にはシルクハットの和訳である。しかし、室生犀星の写真で平日にシルクハットを被った写真は私は知らない。和服で帽子の頂きが尖った円錐形に見える中折れ帽を被ったものを被った写真があるが、これを円筒帽とは言わないだろう。思うに、所謂、俳人がよく被るシンプルな円筒形の宗匠頭巾(そうしょうずきん)のことではないかと思う。俳人でもあった犀星にはよく似合うと私は思う。

 

 内容からもその直後に載る、先に掲げた「螢狩」と同時期と思われ、底本解題によれば大正三(一九二八)年頃の製作と推定されている。萩原朔太郎は前年大正二年に北原白秋の雑誌『朱欒(ザンボア)』に初めて「みちゆき」他五編の詩を発表して詩人として出発、また、室生犀星とも邂逅している。「月に吠える」の刊行はこの二年後のことである。

 

 今回は試みに、抹消部分を除去しつつ、底本の校訂本文とはまた一部違った方法で私の校訂本文を以下に示したいと思う。まず、底本の編者は当然の如くに行っている句読点や仮名遣の誤りはそのままとし(後者はまず正当乍ら、句読点の変更については私は到底、肯んじ得ないのである)、明らかな誤りとしか思えない「ゔあるつらんさあ」・「琲珈」・「いるみねえしよんのの」(「の」の抹消し忘れ)・「はいぷ」を補正、読みにくい「みろこのすばらしい」に読点を施し、漢字が思い出せなかった可能性が考えられるカタカナ表記の「ヒソ」を漢字化した(以上の五箇所は底本校訂本文も実施している)。加えて意味不明な「すつぱなで靴」の「で」を衍字として除去してある。また、読み易さを狙って段落間に一行空けた。

 

   *

 

 淺草公園の夜

     ――散文詩――

 

淺草へ行つてみろ、

 

電流コイルの旋囘だ、乞食紳士のゔあるつだんさあだ、汝の圓筒帽をしてまつぴるまのやうに輝かしめる世界だ、淺草だ、兄弟、おい腕をかせ、醉つぱらつて街を步かう、二人で一所に步かう、

 

みろ、窓の上には憔悴した螢が居る、汝の圓筒帽を捧げ光らせ、巷路いちめん光るガラスの百合を見よ、ぴいぴいと鳴いて居る菫のあまつちよにきすを送れ、兄弟、腕をかせ、二人で一所に步かう、

 

それみよ、汝のすきな裸體がある、すつぱな靴をはいて居る玉乘の御姬樣だ、みろ、純銀のよつぱらひの哀しい、むらさきの遠い路だ、淺草公園、活動寫眞、疾患いるみねえしよんの遠い遠い路だ、兄弟、腕をかせ、二人で一所に步かうぜ、

 

みろ、尖塔の上で殺人事件が行はれる、精靈エレキの感電だ、あぶないから逃げろ、早く逃げろ、

 

みろ、このすばらしい淺草公園六區の晩景を、エレベータアは夢遊病者で滿員です

 

おゝ兄弟、汝の機械に指をあてろ、

 

珈琲の美女をして長い淫行に絕息せしむるところの鋼鐡のぱいぷだ、

 

おどれ、おどれ、椅子をひつくり返しておどれ、みんなが乳に抱きついてタンゴをやれ、女のさかづきに砒素を光らせ、タンゴをやれ、光るどの娘の手も血だらけだ、

 

兄弟、腕をかせ、哀しいから二人して步かうぜ、

 

汝の圓筒帽がまつぴるまのやうにかゞやく、

 

 

   *

 

大方の御批判を俟つ。]

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