栂尾明恵上人伝記 30 食人鬼、明恵に帰依す
承元元年〔丁寅〕秋の比、院宣に依つて東大寺尊勝院(そんじようゐん)の學頭として、華嚴宗興隆すべき由、仰せ下されけり。依りて道性(だうしやう)法印の院主の時、餘りに衆徒の懇切に請じ申さるゝ間、春秋二季の傳法の時一兩年下向ありき。
又同四年七月に、金獅子章(こんじししやう)の光顯鈔(くわいけんせう)一部二卷之を撰す。
或る時鬼類(きるい)來つて御前なる小童に付きて云はく、我は是、毘舍遮鬼(びしやじやき)の類なり。世間に名僧達(だち)多くましませども、名聞を捨てゝ利養(りやう)に拘らず、如法に道を修(しゆ)する人少し。上人の如くなる僧は、天竺をば未だ委しく尋ねみず、晨旦(しんたん)には當時更になし、况んや本朝に於てをや。去る二月十三日の夜、洞中(とうちゆう)月朗に石上(せきじやう)風和に候ひしに、通夜(よもすがら)坐禪入定の御姿を見進(まゐ)らせ候に、貴敬(きけい)の思ひ深く感涙押へ難し。又經典讀誦の御聲心肝(しんかん)に徹(とほ)り殊勝(しゆしよう)に候間、我れ願を立てて生々世々に値遇(ちぐう)し奉りて、佛法に歸依し永く肉食(にくじき)を斷ずべし。願はくは我に戒を授け給へと云々。仇て上人此の小童に向つて、戒を授け給へり。其の時鬼類申すやう、我れ肉食を斷たば食物有るまじく候、御時の次(ついで)に少し御計らひに預り候はんと、仍て上人其れより施餓鬼法を毎夕(まいせき)修し給ひける。
[やぶちゃん注:「毘舍遮鬼」梵語「ピシャーチャ」(piśāca)の音写。啖精鬼(たんしょうき)と漢訳する。インド神話における鬼神の一種で人の血肉を喰らい、五穀の精気を吸う鬼とされる。ものによって「食人鬼」「食人血鬼」「喰屍鬼」とも書かれる。仏典では「畢舎遮」「毘舎遮」などと音写されて仏法に開明後、持国天の従者となったとされる。]