栂尾明恵上人伝記 28―2 諸天来臨
同二年の秋比(ごろ)、紀州の庵所(あんじよ)、地頭職掠(かす)め申す人在りて他領に成りしかば、むづかしき事ありて又、栂尾に還住(げんぢゆう)す。
[やぶちゃん注:元久二(一二〇五)年。明恵、満三十二歳。]
其の年の冬、極寒(ごくかん)の後夜に臨みて坐禪し給ふに、曉天に至りて五體遍身冷え通りぬ。時に持佛堂の方より人の來る足音しけり。心を澄(すま)し聞き給へば、傍の障子をあくる。何者やらんと見るに、ゆゝしく氣高(けだか)げにて、其の裝束吉祥天(きちじやうてん)・辨才天等の如くなる天童來つて曰はく、餘りに冷えとほりて御坐(おは)す間、暖めて奉らんとて、頂をなで、靈藥(れいやく)などを與へ給へり。然らば則ち遍身軈(やが)て暖まりけり。其の後も此の天童常に來り仕へ給へり。
又大威德の眷屬と覺しくて四五歳ばかりなる小童、頭は禿(かむろ)にて、手に弓箭を帶(たい)し來りて曰はく、我れに一の善巧方便(ぜんげうはうべん)を授け給ふに依つて、無始の煩惱忽に除滅(ぢよめつ)し、無邊の善根則ち生得(しやうとく)し、心も潔(きよ)く身も輕く成つて候と申して去りぬ。此の如き事、御弟子直(ぢき)に見給ふ時もあり。