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2013/05/18

海産生物古記録集■5 広瀬旭荘「九桂草堂随筆」に表われたるホヤの記載

 

[やぶちゃん注:広瀬旭荘(ぎょくそう 文化四(一八〇七)年~文久三(一八六三)年)は儒学者で漢詩人。豊後国日田郡豆田町(現在の大分県日田市)の博多屋広瀬三郎右衛門桃秋の八男として生まれた(兄の淡窓も知られた儒学者で漢詩人である)。生来、記憶力が抜群に良く、師亀井昭陽に「活字典」と称えられ、交遊を好んで各地に旅をした。勤王の志士との交わりも知られ、蘭学者も多くその門を訪れている。詩作にすぐれ、詩文の指導には規範を強いず、個性を尊重した。清代末期の儒者兪曲園は旭荘のことを「東国詩人の冠」と評している。著述も多く、とくに二十七歳から始めて死の五日前まで書き続けた日記「日間瑣事備忘(にっかんさじびぼう)」は江戸後期の貴重な資料とされる(以上はウィキの「広瀬旭荘」に拠った)。

 「九桂草堂随筆」(安政二(一八五五)年~同四(一八五七)年成立)は大阪で書かれた。底本は国立国会図書館デジタル化資料の国書刊行会大正七(一九一八)年刊「百家随筆」冒頭にある「九桂草堂随筆」の当該画像(コマ番号80と81)を視認した。私の訓読と合わせながら、一見、人工物のような印象さえ与える特異なホヤ(厳密には乾燥した皮革質部分の一部)の附図も合わせて見て頂きたい〔*注〕。【二〇一四年十月十四日追記】国立国会図書館の二〇一四年五月一日からのサイトポリシー改訂により保護期間満了であることが明示された画像については国立国会図書館への申込が不要となったので、ここに上記当該画像(80・81コマ全部)を掲げるものとする。

Kokkaitosyokan_maboya

〔*注:しかし後に成田亨がウルトラマンで超変り種の四次元怪獣ブルトンを「ホヤ(マボヤ)」から造形設定(製作は高山良策)したように――多くの記載がブルトンの造形をイソギンチャクから発想したとするが、仮に成田の言がそうであっても(事実、彼がそう述べているのを読んだような記憶はある。なお、鼓動のようなブルトンの音は今一つの着想モデルとされる「心臓」に由来するものであろう)これはイソギンチャクではなくホヤ、それもマボヤを着想元とすることは最早、疑いない。円谷関連のブルトンの各種記載はそうした方向で訂正されるべきであると私は強く思っている――のブルトンには四次元繊毛という明らかに人工的な金属機械部分が複数個内部に配されてあったのを懐かしく思い出すのだ。心情的にはこの附図も、私の中では何かそうした怪獣少年へのフィード・バックが自動作用としてかかってしまい、何故か、ひどく懐かしい錯覚がしてくる図なのである。〕]

 

一、房州三田尻に柏吉と云者あり、頗風雅の志を存して漁獵を業とせり、臘月余之を訪ひしに、魚骨瓦石の類室中に充滿せり。主人云、此皆我網にて引上げたる物なり、此内より一物を擇取り玉へと挨拶しける故、一物を取れり、此物形ち圖の如くにして、中は空洞水三升を入るべし、其質石に似て石に非ず、陶器に似て陶器にあらず、蓋し細沙聚りて凝冱し、鐡より剛なるもの、背に一口あり、長さ三寸、徑り一寸、尻に又一口あり、小にして三の一に當らず、而て塞りて通ぜず、外面は蠣殻粘結せり、博物の人是を知るものなし、浪華の田邊守瓶が説に、是はホヤなり、ホヤとは老海鼠の化するところ、海鼠海底に蟄すること數百年、土沙その體に粘して陶器の狀をなす、唯口と尻との二口を以て呼吸を通ず、既にして化して龍の如き物となる、一旦風雷に乘じて其殼を破りて出づ、松前の人是を海鐡砲と名づく、漁舟頗る是を恐る、今まで見しホヤは常に二三寸に過ぎず、此は數十倍、何れ海鼠中の王なるべし、誠に希代の珍物なりと、初め柏吉余に贈りしとき、是は六百尋ほどの海底に手繰網を下して挂りたる物なり、何れ蟲魚の窠殼ならんと云へり、守瓶が説疑ふべしと雖ども、外に説あるものなし、故に記す、

 

□附図について

 画像は底本とした国立国会図書館デジタル化資料国書刊行会大正七(一九一八)年刊「百家随筆」冒頭にある「九桂草堂随筆卷之七」の当該画像(コマ番号80)を参照されたい(転載には手続きが必要なため、今回は見合わせる)。

 底本附図は左右二図からなる。推測するにどうもこれはマボヤ若しくはハルトボヤ(注冒頭の同定を参照)の皮革質部分の乾燥した一部のように思われ、右側が上部の、左側がそれを逆様にしたもののように見える。左の図を見ると、大きな開口部があり、これが本文の「背に一口あり」であるとすれば、これは附着していた仮根を生ずる柄部が欠損して出来た、皮革質の最下部に開いた大きな破損穴であると推察出来る。すると右手の上部中央に突出したものは入水管か出水管ということになるが、これが一本しか記されていないというのはやや不審である。内臓の脱落の際にどちらか一方が皮革部に陥没して塞がってしまい、乾燥の過程で皮革部と判別がつかなくなったものと思われる。そういう推理でこの右の図をもう一度よくみると(当初、一見、何かの金具のようにさえ見えるこれらの雲形の模様を本文にある附着した牡蠣殻と見ていたが)、有意な突出部の右下方に何か独特の模様を持った箇所が見える。この模様は先の有意な突出部の尖端にもわざわざ描いてある。仔細に見るとこの右下方のそれは、上のそれよりも複雑な皺のような感じで描かれているところをみると、実は上部の有意な突起がマイナス形の出水口の塞がった跡であり、この右下方の皮革に埋没した部分に実はプラス形の口を持った入水管が存在したのではないかと思えてくる。この推理は生物学的な配置関係からみても問題がない。右図にはその外、左下方に数箇所、突起様の、また左図にも全体に有意な凹凸をしめす描画がなされているが、これらがホヤの皮革外皮の突起や凹凸を示すものなのか、はたまた附着した牡蠣殻なのかは判然としない(但し、右図の右下最下部の滑らかな複数の襞の膨らみはマボヤの皮革の外観を尤もうまく伝えているように思われる)。

 

□やぶちゃん注

○本種は、

脊索動物門尾索動物亜門海鞘(ホヤ)綱壁性(側性ホヤ)目褶鰓亜目ピウラ(マボヤ)科マボヤ属マボヤ Halocynthia roretzi

若しくは

同ピウラ(マボヤ)科ハルトボヤ属ハルトボヤ Microcosmus hartmeyer

の超大型個体を同定候補としたい。保育社平成七(一九九五)年刊西村三郎編著「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅱ]」では前者の体長を一五〇ミリメートルとし、後者を一六〇ミリメートルと有意に違えてあるところからも、ハルトボヤがマボヤよりも大型個体を生じやすいと読め、更に本文でも優位に皮嚢の皮革質が非常に堅牢であると述べている点で、ハルトボヤ Microcosmus hartmeyeri の可能性が高まるようには思われる。「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅱ]」の記載に基づいて以下にハルトボヤについて記載しておく(これも丘浅次郎先生の命名である)。

   *

ハルトボヤ

Microcosmus hartmeyeri Oka

体長一六〇ミリメートルに達する。被嚢は厚くて堅く、表面にはしわが多い。生時は黄褐色や赤橙色を呈する。水管の内部は鮮やかな赤橙色に染まっており、時に淡い筋が不規則に見られる。水孔周辺に一七〇マイクロメートル以下の微小棘が密生する。富山湾及び房総半島以南の本州(瀬戸内海を除く)と玄海沿岸で、潮下帯から一五〇メートルの深さに棲息する。福岡では被嚢を味噌漬などにして祝いの席で食べる。

   *

グーグルの「ハルトボヤ」の画検索で分かる通り、外観は相当にがちゃがちゃしており、附図が分かり難いのもこういう状況を写そうとしたのであろうと合点がゆく。ご覧あれ。それにしても、ハルトボヤの皮の味噌漬け……劇しく食いたい!

・「房州三田尻」不詳。安房には田尻という地名は、少なくとも現在は確認出来ない。一つ気になるのは「三田尻」ならば周防国(長州藩)にあることで(現在の防府市)、周防国は別名「防州」である点である。但し、本種がハルトボヤ Microcosmus hartmeyeri であるとすれば、上記の記載から周防誤記説は誤りとなる。大方の御批判を俟つ。現代語訳では安房ととった。

・「柏吉」不詳。「頗風雅の志を存して」とあるから、所謂、市井の漁師ではあるが、相応の裕福な網元クラスの、所謂、物産愛好の好事家の一人と思われ、するとこれも本名ではなく、一種の雅号である可能性が高く、その場合は恐らく音読みして「ハクキツ」と読むかと思われる。

・「頗」「すこぶる」と読む。

・「臘月」陰暦十二月の異名。

・「擇取り」「えらみとり」と読むかと思われる。選び取る。

・「水三升」これは無論、小型の一合枡で三合入るということであろう。それでも非常に大きい。

・「細沙聚りて凝冱し、鐡より剛なるもの」「凝冱」は「ぎようご」と読み、冷えて凍り固まることをいう。後で深海からの採取であることが明らかにされるが、あたかもそれに合わせたような、細かな砂が強烈な水圧と非常な低温によって凝結して、鉄よりも「剛(こう)」なる硬い物質に変成した、とでも言いたそうな文脈部分ではある。

・「長さ三寸、徑り一寸」「徑り」は「さしわたり」と読んでいるか。直径が約三センチで円周が約九センチということであろう。

・「小にして三の一に當らず」これは前の数値を元に述べているから、図の右に有意に突出するも部分は直径は一センチメートルほどで、円周も三センチメートル足らずであることをいう。入出水孔の形状として全く問題がない。

・「田邊守瓶」不詳。「しゆびん」と読んでおく。物産家らしいが、以下のトンデモ説を開陳するところは、かなり怪しい人物である。識者の御教授を乞う。

・「ホヤとは老海鼠の化するところ」「老海鼠(らうなまこ)」と読んでおく。これで「ほや」と読むがそれでは文意が通じないからである。

・「松前」北海道南部の現在渡島総合振興局管内にある松前町(まつまえちょう)。渡島半島南西部に位置する。かつては松前藩の城下町として栄えた。

・「海鐡砲」このようなあやかしは不詳。叙述からその昇龍の如き変態変生の噴出に打たれると船は沈み、人の命はない、というニュアンスである。識者の御教授を乞う。ただ、生時には出水孔からかなり強く海水を吹き出すし、ホヤの調理では最初に入水孔の突起部を切除するのが一般的であるが、その際、生きが好ければ好いほど、鉄砲のように勢いよく海水が吹き出ることは事実である。

・「今まで見しホヤは常に二三寸に過ぎず、此は數十倍」個体の丈け(高さ)を言っているのであろうが、これでは少なくとっても二寸の二十倍としたって1メートルを有に超えることになってしまい、前の実測数値とも甚だしい齟齬を生ずる(そもそもそんなでかいものを「一物を取れり」とは表現しない)。こんな誇張をここで用いるのは正直、如何にも変といわざるを得ない。「數百年」の辺りから、この御仁、信用に措けぬ。……が……おもろいやないかい!

・「六百尋」一尋(ひろ)は約一・八メートルであるから、約一〇八〇メートルに相当する超深海底(現在は通常二〇〇メートル以深を深海と呼称する)である。これも妙に誇張的ではある。但し、ここでは「手繰網を下して」とあることから誇張とも言えない。手繰網(たぐりあみ)は底引寄せ網の一種で、網は一袋両翼型で、袋網の網口両側に袖網(そであみ)がつき、その先端に引綱がつくタイプをいう。錨を降ろして船を固定した上で網が海底から離れないように引き寄せて獲る。おもな漁獲魚種はイワシ・シラス・イカナゴ・アジ・カレイ等が主で、沿岸域の水深二〇~四〇メートルが主漁場であるが、この引綱の長さは水深の十五倍程度が必要で、最初に投網(とうもう)した位置前面の海底に群生する魚群を左右の引綱で囲む形からまず始まって、次第にその囲みを長楕円形に変じて、引綱で脅かしながら目的の魚群を袋網の真正面に駆り集めさせ、そこで急に網を引いて漁獲する(以上は小学館「日本大百科全書」に拠る)。以上の現在の手繰網の記載から、実際にはこの当時の古いタイプの場合は六〇〇~一〇〇〇メートル繰り出したとしてもおかしくないように思われるからである。

・「挂りたる」「かかりたる」と訓じている。ひっかかるの意。

・「蟲魚の窠殼」「窠殼」は「くわかく(かかく)」と読み、魚その他の何らかの海産動物の棲み家の殻(から)の意。

 

■やぶちゃん現代語訳(読み易くするために適宜改行した)

 

一、安房国の三田尻(みたじり)に柏吉(はくきつ)と申す同好の士がおる。

 すこぶる風雅の道を好み、詩歌などをものし、平素は漁労を生業(なりわい)と致いておる。

 昨年の十二月、私、初めて彼の邸(やしき)を訪ねたのだが、これがまあ、奇体な魚の骨やら、得体の知れぬかわらけのようなるもの、異形(いぎょう)の岩石の類いなんどが、これ、「所狭し」どころか、室内にまさに「充満しておる」のであった。

 主人云わく、

「これは皆、我らが網にて引上げたる物で御座る。さて――このうちより、どうぞ、お好きなものを、これ一品、お選び下されよ。差し上げまする。」

とのことゆえ、とりあえず目を引いた不可思議なる物体を一つ取った。

 この物の形態は、以下の図の如きものである。

――中は空洞にして、見たところ、水三合は軽く入るであろうと思われる。

――その材質は石に似て石ではなく、陶器に似て陶器でもない。

――思うに、非常に細かい砂が、何らかの強い力で集められて凝結し、鉄よりも遙かに堅い物質に変成(へんせい)したかのような印象を与える素材である。

――背部に有意に大きな口が一箇所あり、その開口部は円周が凡そ三寸、直径が約一寸。

――その反対の側の尻の部分にもまた、口が一つあるが、こちらはぐっと小振りもので、前記の背部の口の三分の一にも満たない。しかも塞ってしまっており、中には通じていない。

――総体の外面部分には牡蛎殻が夥しく附着している。

 これを持ち帰って複数の博物の知を標榜せる御仁に見てもろうが、誰(たれ)一人として、これが何物であるかを知る者は御座らんなんだ。

 やっと大坂の田邊守瓶(しゅびん)に見せたところが、

「これはホヤで御座る。ホヤとは老いた海鼠(なまこ)が化したものにて、海鼠(なまこ)が生き永らえて、これ、海底にて凝(じ)っとしておること、数百年!……土砂がその体に粘着して……時を経て遂には、これ、陶器の如き体(てい)を成すに至るので御座る。……ただ、口と尻との二つの口を以って呼吸(いき)を通ずるに過ぎぬ摩訶不思議なものと成った……かと思えば! 既にして! 遂には化して! 龍の如きものとなる! かくして! 一旦、嵐や雷の劇しきに乗じ、その鉄の如き殼を破り! いや、サ! 海の上へと! ばっと! 飛び出る!……松前の人などはな、これを『海鉄砲』と名づけて、の! 漁師やその舟は、これをすこぶる恐れて御座るものじゃ!……それにしても……今まで拙者が見たホヤは、これ、常にせいぜいが、二、三寸のものに過ぎぬ小粒なものじゃったが……これは実に、その数十倍はあろうかという代物! これはまっこと、海鼠(なまこ)の中の王なるもののホヤに化したものの、その海鉄砲の化成(かせい)を遂げし後(のち)の、殻に相違御座らぬ! まことに以って! 稀代(きだい)の珍物(ちんぶつ)じゃて!」

とのことで御座った。

 しかし当初、柏吉から私に贈られた際には、柏吉は、

「これは六百尋(ひろ)ほどの海底に手繰網(たぐりあみ)を下(おろ)した際に掛かってきた物にて、孰(いず)れ、海産の魚介の類いの古き棲み家の抜け殻か何かで御座ろう。」

と申しておったもので御座る。

 この守瓶の説、すこぶる疑はしいものと思えども、他に納得し得る説を示すことの出来る者もおらぬによって、ここにとりあえず記しおくことと致す。

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