耳嚢 巻之七 疝痛を治する妙藥の事
疝痛を治する妙藥の事
またゝびの粉を酒又砂糖湯にて用ゆれば、其いたみ去る事妙のよし。營中にて我(われ)症を愁ふるを聞(きき)て傳授なしけるが、予(よの)元へ來る藥店(くすりみせ)を職として眼科をなしける者、疝氣にて腰を痛め候事度々成しが、またゝびを壹匁(もんめ)、酒を茶碗に一盃用ひて即效を得しが、素より酒量なき故、酒(さけ)茶碗に一盃呑(のむ)事甚だ苦しきゆへ、年も老(おい)ぬれば茶湯又砂糖湯にて用(もちゐ)見るに、酒にて用ゆるより、其功はおとりぬと語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:一つ前とその前の咳に続く民間療法シリーズ。根岸が疝気持ちであったことは既に「耳嚢 巻之四 疝氣呪の事」で明らかになっている。「疝気」については、リンク先の私の注を参照されたい。
・「またゝび」双子葉植物綱ツバキ目マタタビ科マタタビ
Actinidia polygama。ウィキの「マタタビ」によれば、『蕾にタマバエ科の昆虫が寄生して虫こぶになったものは、木天蓼(もくてんりょう)という生薬である。冷え性、神経痛、リューマチなどに効果があるとされる』とあり、ここで「粉」と称するのもこれであろう。「木天蓼」と書き、「もくてんりょう」とも読む。夏梅という別名もある。他にもこのウィキの記載は短いながら興味深い箇所が多い。脱線であるが幾つか引用すると、六月から七月にかけて開花するが、『花をつける蔓の先端部の葉は、花期に白化し、送粉昆虫を誘引するサインとなっていると考えられる。近縁のミヤママタタビでは、桃色に着色する』とあり、所謂、ネコとの関係については、『ネコ科の動物はマタタビ特有の臭気(中性のマタタビラクトンおよび塩基性のアクチニジン)に恍惚を感じ、強い反応を示すため「ネコにマタタビ」という言葉が生まれた』。『同じくネコ科であるライオンやトラなどもマタタビの臭気に特有の反応を示す。なおマタタビ以外にも、同様にネコ科の動物に恍惚感を与える植物としてイヌハッカがある』とし、和名の由来については、『アイヌ語の「マタタムブ」からきたというのが、現在最も有力な説のようである』。「牧野新日本植物図鑑」(一九八五年北隆館刊/三三一頁)によると、『アイヌ語で、「マタ」は「冬」、「タムブ」は「亀の甲」の意味で、おそらく果実を表した呼び名だろうとされる。一方で、『植物和名の研究』(深津正、八坂書房)や『分類アイヌ語辞典』(知里真志保、平凡社)によると「タムブ」は苞(つと、手土産)の意味であるとする』。『一説に、「疲れた旅人がマタタビの実を食べたところ、再び旅を続けることが出来るようになった」ことから「復(また)旅」と名づけられたというが、マタタビがとりわけ旅人に好まれたという周知の事実があるでもなく、また「副詞+名詞」といった命名法は一般に例がない。むしろ「またたび」という字面から「復旅」を連想するのは容易であるから、典型的な民間語源であると見るのが自然であろう』とある。博物学と民俗学が美事に復権した素晴らしい記載である。
「一匁」現在は三・七五グラムに定量されているが、江戸時代はやや少なく、近世を通じた平均値は三・七三六グラムであったとウィキの「匁」にはある。
■やぶちゃん現代語訳
疝痛を癒す妙薬の事
またたびの粉を酒または砂糖湯にて服用すれば、その痛みがすっと引くこと絶妙の由。
御城内にて、私が疝痛に悩まされているというのを聞いた、さる御御仁が伝授して下されたことである。
その後、私の元へ来たる薬屋を本職としつつ、眼科をも兼ねておる者も、疝気にて腰を痛ぬることが、これ、度々御座ったが、その都度、またたびを一匁、酒を茶碗に一杯用いて即効を得る由、聞いた。
ただ、この者、平素より酒が呑めぬ性質(たち)なれば、この、酒を茶碗に一杯呑みほすことがこれ、以前よりはなはだ苦しゅう御座ったと申す。
最近では年もとったことと相俟って、すこぶる酒での服用が困難になって御座ったゆえ、今は茶湯または砂糖湯を用いて服用しておるとのこと。
「……但し、酒で服用した場合に比べますると、その効果は、これ、劣りますな。……」
と、本人が語って御座った。
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