生物學講話 丘淺次郎 第九章 生殖の方法 一 雌雄異體
一 雌雄異體
雌雄異體とは個體に二種の區別があつて、一方は雄一方は雌である場合をいふ。普通に人の知つて居る動物は殆ど皆かやうになつて居る。人間を始め獸類・鳥類は素より蛇・「とかげ」・龜・蛙及び魚類に至るまで脊椎動物は悉く雌雄異體である。また日常人の目に觸れる昆蟲類・「えび」・「かに」の類なども雌雄は必ず別である。それ故、雌雄異體は動物の通性の如くに思はれ、わざわざこれを論ずる必要がないかの如くにも感ぜられるが、生物には雌雄の別のないものも少くないから、それらに比べて雌雄異體の動物にのみ特に具はつて居る性質に就いて考へて見よう。
個體に雌雄の別があつて、その間に生殖の行はれる動物の中にもさまざまのものがある。「からす」や「さぎ」の如くに一見しては雌雄の別のわからぬものもあれば、鹿や鷄の如くに遠くからでも雌雄の區別の判然と知れるものもある。犬や龜の如くに交尾して暫時離れぬものもあれば、「うに」・「なまこ」などの如くに雌雄相觸れずして生殖するものもある。これらの相違及びその生じた原因に就いては後の章に述べることとしてここには略するが、雌雄異體の動物にはかやうに相異なる性質の外に全部に通じた肝要な點がある。それは即ち雌性の個體は卵細胞を生じ、雄性の個體は精蟲を生ずることであつて、この一事に關しては決して例外はない。卵細胞を生ずる個體ならば如何なる形狀を呈し、如何なる性質を具へて居てもこれは雌であつて、精蟲を生ずる個體ならば如何なる形狀を呈し、如何なる性質を具へて居てもこれは雄である。雌雄異體の動物が生殖する際には、雌の身體から離れた卵細胞と雄の身體から離れた精蟲とが一個づつ相合して、新たなる一個體の基礎を造る。そして雌雄の身體・性質等に相違のある場合には、これは皆卵細胞と精蟲とを相出遇はしめるため、また新たに生じた個體を保護し養ふためのものである。雌雄兩性による生殖は、種々の生殖法の中で最も進んだ最も複雜なものであるが、雌雄の間に著しい相違のある種類では、更に一層働が複雜になつて居るから、たゞこれだけを見ると頗る不思議に思はれ、何か神祕的の事情が含まれてあるかの如くにも感ぜられる。しかしこれを他の簡單な生殖法に比べて見ると、初めてその理窟が稍々明瞭になつて來る。その有樣は恰も人間だけを調べたのでは人間とは如何なるものであるかが到底わからぬが、他の下等動物と比較して見ると、その素性が明らかに知れるのと同じである。
卵細胞を生ずる器官は卵巣であって、精蟲を造る器官は睾丸であるから、雌とは卵巣を有する個體、雄とは睾丸を具へた個體というて差支はない。一方に卵巣を一方は睾丸を具へて居るといふ外に何の相違もない雌雄は、外見上には少しも區別が出來ぬ。「うに」や「なまこ」はこの類に屬する。しかし雄の身體から離れた精蟲を確實に卵細胞まで達せしめるには、これを雌の身體の内へ移し入れるのがもっとも有功である。そして、雄が精蟲を雌の體内へ移し入れる器官は交接器であるが、これを具へた動物になると、如何に雌雄の形狀が相似て居てもその部さへ見れば容易に區別することが出來る。犬・猫などはこの程度にある。
なお雌雄異體の動物には、雌雄によつて體形の非常に相違するものがあり、中には雄と雌とが同一種の動物とは思はれぬ程のものもあるが、これらに就いては更に後の章に詳しく述べるからこゝには略する。
とにかく、雌雄異體の生殖は、すべての生殖法の中でも最も進んだもので、それだけ他に勝つた利益はあるに違ないが、物には必ず損と得とがあるもので、雌雄異體の生殖にもまた多少不利益な點がないでもない。例へばこの類に屬する動物では、一疋づつ離して置けば全く棲息が出來ぬ。假に一疋の雌鼠が鼠の一疋も居ない離れ島へ漂著したと想像するに、もしその後他の鼠が漂流して來なかつたならばい一代限りで絶てしまふ。また偶然第二囘の漂著者があつたとしても、もしこれが同じく雌であつたならば、二疋寄つても子を遺すことは出來ぬ。雌と雌とが出遇うても、雄と雄とが出遇うても子を産むことが出來ぬから、雌雄異體の動物では、二疋の個體が偶然相出遇うたときに子を産む機會は五割により當らぬ。それ故、新領土に種族を節分布するに當つては、雌雄の別のあることは餘程の損になる。尤も同種類の個體が多數に近邊に居る場合にはかやうな不都合は無論起らぬ。
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