魚の祭禮 大手拓次
魚の祭禮
人間のたましひと蟲のたましひとがしづかに抱(だ)きあふ五月のゆふがた、
そこに愛につかれた老婆の眼が永遠にむかつてさびしい光をなげかけ、
また、やはらかなうぶ毛のなかににほふ處女(をとめ)の肌が香爐のやうにたえまなく幻想を生んでゐる。
わたしはいま、窓の椅子によりかかつて眠らうとしてゐる。
そのところへ澤山の魚はおよいできた、
けむりのやうに また あをい花環(はなわ)のやうに。
魚のむれはそよそよとうごいて、
窓よりはひるゆふぐれの光をなめてゐる。
わたしの眼はふたつの雪洞(ぼんぼり)のやうにこの海のなかにおよぎまはり、
ときどき その溜塗(ためぬり)のきやしやな椅子のうへにもどつてくる。
魚のむれのうごき方(かた)は、だんだんに賑(にぎや)かさを増してきて、
まつしろな音樂ばかりになつた。
これは凡(すべ)てのいきものの持つてゐる心靈のながれである。
魚のむれは三角の帆となり、
魚のむれはまつさをな森林となり、
魚のむれはまるのこぎりとなり、
魚のむれは亡靈の形(かたち)なき手となり、
わたしの椅子のまはりに いつまでもおよいでゐる。
[やぶちゃん注:「溜塗」漆塗りの一種で、朱またはベンガラで漆塗りをして乾燥させた後、透漆(すきうるし)でさらに上塗りしたものをいう。半透明の美しさがある。「花塗(はなぬり)」ともいう。]