栂尾明恵上人伝記 33 山中のたった独りの涅槃会
同三年〔乙亥〕二月十五日、殊に志を勵まして涅槃會を栂尾に於いて行ひ給へり。昔時(そのかみ)山林深谷に跡をくらまし給ひし時も、山中の樹を莊(かざ)りて菩提樹と號し、瓦石(ぐわせき)を重ねて金剛座とす。至れる所を道場として西天(さいてん)今夜の風儀(ふうぎ)を寫し、終夜佛號を唱へて雙林拔提河(さうりんばつだいが)の景氣を學ぶ。菩提樹と號する木の下に石を重ね積みて、其の上に一丈許なる率都婆(そとば)を立てゝ、上人自ら南無摩竭提國(なむまかだこく)・伽耶城邊(かやじやうへん)・菩提樹下(ぼだいじゆげ)・成佛寶塔(じやうぶつはうたふ)と書き給ふ。更に其の前に木の葉を重ねて、講經説法の座とす。彼の西天菩提樹下の今夜の儀式を聞くに、國王・王子・群臣・黎庶(れいしよ)、覺樹(かくじゆ)枯衰を見るに、終夜悲戀に堪へずして、各々蘇合(そがふ)・油香(ゆかう)・香乳(かうにう)を灑(そゝ)ぐらん有樣、哀(あはれ)に悲き儀を想像して、泣く泣く水を以て樹下に洒(そゝ)ぎ、供養を述ぶ。哀れなるかな、其儀式淺きに似たりといへども、併(しかしなが)ら戀慕悲歎の志より起れり。上人自ら四卷式を草し給へり。今世間に流布して多く之を用ふ。
[やぶちゃん注:「同三年」建保三(一二一五)年。明恵、満四二歳。]