王漁洋 広州竹枝詞 中島敦訳詩
南のまちの 遊妓(あそびめ)の
あら異(こと)やうの 髮のさま
遊びて 醉ひて 春の夜の
靑樓にして 臥しにけり
小夜ふけ床(どこ)に ふと覺めぬ
何の甘さぞ この匂
傍(かた)へなる妓(こ)が 黑髮に
ジャスミンの花 我は見つ
※雲盤髻簇宮鴉
一綫紅潮枕畔斜
夜半髮香人夢醒
銀絲開徧素馨花
王士正「廣州竹枝」
[やぶちゃん注:「※」=「髪」-「友」+「春」。「王士正」は清初の詩人王士禎(一六三四年~一七一一年)。本来は「士禛(ししん)」という名であったが、死後に雍正帝が即位しその諱が「胤禛」であったために「士正」と改名された。後の乾隆帝の治世に「士禎」の名を賜ったが、現在は号を以って王漁洋と称されることも多い。
「竹枝」竹枝詞。以下、「竹枝詞 概説 詩詞世界 碇豊長の詩詞:漢詩」(このサイトは私が最も素晴らしいと思うネット上の漢詩サイトである)によれば、元は民間の歌謡で楚に生まれたものと伝えられる。唐代の北方人にとっては楚は蛮地でもあり、長安の文人には珍しく新鮮に映ったようである。そこで、それらを採録・修正したものが劉禹錫や白居易によって広められて竹枝詞と呼称されるようになり、地方色豊かな民歌として流行った。その後、唱われなくなったが(竹枝詞をうたうことは「竹枝」といわれ「唱」が充てられた)、詩文の、同様の形式や題となって他へ広がった。形式は七言絶句と似ているものが殆どである(二句だけの二句体や六言のものなどもある)。『竹枝を七絶と比較して見てみると、七絶との違いは、平仄が七絶より緩やかであって、あまり気にしていない。謡ったときのリズム感を重視するためか、同じことば(詩でいえば「字」)が繰り返してでてくることが屡々ある。また、一句が一文となっている場合が多く、近体詩の名詞句のみでの句構成などというものはあまりない。聞いていてよく分かるようになっている。これらが文字言語としての詩作とは、大きく異なるところである。また、白話が入ってくることを排除しない。皇甫松や孫光憲のものには、「檳榔花發竹枝鷓鴣啼女兒」のように、「竹枝」「女兒」という「あいのて」があるのも大きな特徴である』。『共通する点は、節奏は、七絶のそれと同じで、押韻も第一、二、四句でふむ三韻。この形式での作詞は根強く、現代でも広く作られている。現代の作品は、生活をうたった、典故を用いない、気軽な七絶という雰囲気である』とあり、更に『竹枝詞の内容は、男女間の愛情をうたうものが多く、やがて風土、人情もうたうようになる。用語は、伝統的な詩詞に比べ、単純で野鄙であり、典故を踏まえたものは少ない。その分、民間の生活を踏まえた歌辞(語句)や、伝承は出てくる。対句も比較的多い。男女関係を唱うものは、表面の歌詞の意味とは別に裏の意味が隠されている。似たフレーズを繰り返した、言葉のリズム、言葉の遊びというようなものが感じられる。また、(近現代の作品を除き)中国語で読んだときにすらっとしたなめらかな感じがあ』って、『これらの特徴は、太鼓のリズムに合わせ、楽器の音曲にのり、踊りながら唱うということからきていよう』と記されておられる。実作例はリンク先の下方に豊富に示されてあるので必見。]