耳嚢 巻之七 蕎麥は冷物といふ事
蕎麥は冷物といふ事
蕎麥は冷病(れいびやう)といへる事は、ある醫師に尋(たづね)けるに、其風味冷成(ひえな)る共□□物なれども、醫師の知れる富民、屋敷も廣く畑物抔作りしに、其隣成る民夥しく鷄を飼置(かひおき)て、玉子を取(とり)て是を商ひけるに、彼(かの)隣家も是又不貧(まづしからざる)ものにて屋敷も廣ければ、夥敷(おびただしき)鷄故右屋しき内の者草蟲(くさむし)の類(たぐひ)は悉く喰(くひ)盡し、隣家の鼻物をあらしける故愁ひ斷(ことわり)をなせ共、手廣の屋敷なればかこひ等防(ふせぐ)べき手便(てだて)もなく、承知とはいへ共すべきやふなかりしに、或人かの家のあらされたる者境(さかひ)の鼻へ蕎麥を蒔(まき)給ふべし、蕎麥を喰(くふ)鷄は玉子を産(うま)ずと教(をしへ)にまかせ、境鼻へ蕎麥を蒔しに、其後隣の鷄玉子をうむ事なし。不思議なる事とて知れる人に咄しければ、彼そば鼻を見て、右の通(とほり)蕎麥を喰ひたる鷄は玉子を生(うま)ぬなりといゝしが、せん方なく過(すぎ)し由。冷物(ひえもの)故鷄も玉子を生ざる事、其證なるべしと語りぬ。
□やぶちゃん注
○前項連関:話者が医師で、前話の話者の一人も医師であるから、軽く連関する。
・「蕎麥は冷物」「冷物」は「ひえもの」。よく蕎麦は体を冷やす、とは言うが、ここでの謂いは「冷病」(冷え症の類か)ともあって穏やかでない。底本の鈴木氏の注には、もっと過激なことが記されているので、例外的に全文を引く。『蕎麦を食べると死ぬとか、タニシを肥料にした蕎麦は大毒とかいう巷説が流布して、奉行所から取締りの触れが出たのは文化十年のこと(我衣)であるから、本巻の執筆より後である。十年のときは、「手打ちぞと聞いたらそばへ立寄るな命二つの盛り替へはなし」という落首まで出たり、七月中村座上演の芝居には、わざわざ夜鷹蕎麦屋に、そんな噂がございますが、みんな嘘でござりますといわせる場面も入れている程である。漢方の医書にも蕎麦の毒についてはっきり記したものはなく、『延寿類要』には「旡毒、実腸胃益力」とある。』「我衣」は医師で俳諧宗匠でもあった加藤曳尾庵(かとうえびあん 宝暦一三(一七六三)年~?)の随筆。「延寿類要」は室町から戦国期にかけての朝廷侍医竹田定盛(たけだじょうせい 応永二八(一四二一)年~永正五(一五〇八)年)の著作(彼は八代将軍足利義政の病いを治癒して法印となっている)。なお、ネット上の記載では、薬膳の観点から見ると蕎麦は陽性であり、逆に体を温める働きがあるとするが、「web R25」の『「体を冷やす」といわれる食べ物はホントに冷える!?』には、蕎麦に含まれている蛋白質消化阻害因子が蛋白質の消化を阻害し、消化によって生ずる熱が減って体温が上がらない可能性がある、という科学的仮説が示されていて面白い。
・「其風味冷成る共□□物なれども」底本には「□□」の右に『(難極カ)』と傍注する。これだと、「その風味冷えなるとも極め難き物なれども」となる。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、『其(その)風味冷来るとも難思(おもいがたき)物ながら』とある。
・「鼻物」底本には右に『(花カ、端カ)』と傍注するが、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では、『畠物』とあって、この誤記であることが分かる。バークレー校版で訳した。
・「境の鼻へ」底本には「鼻」の右にママ注記がある。ここも以下の「境鼻」「そば鼻」も総て「畠」で採る。
■やぶちゃん現代語訳
蕎麦は体を冷すものであるという事
巷で、蕎麦は冷病(れいびょう)の元と申すことにつき、ある医師に訊ねたところ、
「……蕎麦の性質(たち)が体を冷やすものであるかどうかは、これ、極め難きことなれども……そうさ、こんな話が御座った。……
……拙者の知れる小金持ちの農家に、屋敷も広く、畑物なんどを耕しておる者がお御座いまするが、その隣りなる農家も、これ夥しき鶏(にわとり)を飼いおいて、その玉子を取ってはこれを商い致いておる者で御座った。
この隣りの養鶏致す者も、これまた、相応の小金持ちにて、やはり屋敷も広う御座ったが、まあ、飼(こ)う御座ったは、実に仰山な数の鶏で御座ったゆえ、その者の屋敷内の、これ、ありとある、草やら虫やらの類いは、そのうちにこれ、悉く喰い尽くしてしもうて、遂には隣家の畑の物をも荒し始めて御座った。
されば我らが知れる当主も甚だ困って、その主人に苦情を述べてはみたものの、言われた隣家の側も、こまい鶏と、手広き屋敷内のことなれば、囲いなんどを漏れなくなして防ぐといった手立ても十分には出来申さず、隣家の迷惑は無論、承知のこととは申せども、鶏の畑地荒らしを断つべき妙案も、これなく、時々、気がつては、隣地に入った鶏を呼び戻すほどのことしか出來なんだと申す。
するとある日のこと、畑地を荒されて御座った農家の知人の者が、この話しを聴いて、
「――それはまんず、隣家との境いの畑へ蕎麦をお蒔きなさるがよろしい。――蕎麦を喰うた鶏は、これもう、玉子を産まずなるによって、の。――」
と教えくれたによって、その通りに境いの畑へ蕎麦を蒔いてみたと申す。
暫く致いて、蕎麦の実の生ったれば、隣家の鶏は挙ってこの蕎麦の実を突っつき喰ろう。
盛んに喰うてはそこで満腹して、鶏ども、もう知人の地所内の畑地へは、それより入り込むことも少のうなったと申す。
ところが、それからほどのう、隣りの鶏、一切、これ、玉子を産むことが、のうなったと申す。
卵商い致す主人は驚天動地、不思議なことじゃと、困り果てて、たまたま知れる者の訪ね来たった折りに、隣家とのごたごたなんども含めて相談致いたところ、その者、隣家との境に御座った蕎麦畑を見たとたん、
「……あのように蕎麦が植えられては、のぅ。……蕎麦を喰うた鶏の、玉子を産まずなるは、これ、必定じゃて。……」
と申したそうな。
養鶏の主人、これを聞いても、鶏が勝手によそさまの蕎麦を食うたる所業の末のことなればこそ、文句の言いようも、これ御座なく、そのままにうち過ぎ、結局、養鶏はやめたとか聞き及んで御座いまする。……
……さすればこそやはり――蕎麦は冷え物ゆえ、鶏も玉子を産まずなった――という、まあ、その証しとも言えば、これ、言えましょうかのぅ。……」
と語って御座ったよ。
« 栂尾明恵上人伝記 41 峰の嵐に諸一切種と上げたれば谷より告ぐる入逢の鐘 | トップページ | 「らんすゐ」追跡1 »