桃太郎伝説 南方熊楠
桃太郎伝説
犬を伴れて島を伐(う)った話は南洋にもある。ヴァイツおよびゲルラントの『未開民史(ゲシヒテ・デル・ナチュルフォルケル)』(一八七二年板、六巻二九〇頁)にいわく、「タヒチ島のヒロは塩の神で、好んで硬い石に穴を掘る。かつて禁界の制標たる樹木を引き抜いて、守衛二人を殺し、巨鬼に囚えられたる一素女を救い、また多くの犬と勇士を率いて一船に乗り、虹神の赤帯を求めて島々を尋ね、毎夜海底の怪物、鬼魅と闘う。ある時窟中に眠れるに乗じ、闇の神来たりてかれを滅ぼさんとするを見、一忠犬吠えてヒロを寤(さ)まし、ヒロ起きて衆敵を平らぐ。ヒロの舟と柁(かじ)ならびにかの犬化して山および石となれるがその島に現存す、云々」。桃太郎が犬つれて鬼が島を攻めた話にも、諸国に多い、忠犬、主を寤まして殺された話にも、似たところがある。タヒチ島は日本とはよほど隔たりおるが、神話や旧儀に日本上古の事物と似たことが多い。しかし、予はこのゆえに、ただちに桃太郎の鬼が島攻めはタヒチから日本へ移ったとも、日本からかの地へ伝えたとも即断するものでない。篤(とく)と調べたら、他の諸国にも多く似た譚があるのであろう。また以前あって今絶えたのもあろう。
(大正三年九月『郷土研究』二巻七号)
[やぶちゃん注:大正一五(一九二六)年岡書院刊「南方随筆」より。「ゲシヒテ・デル・ナチュルフォルケル」はルビ。底本では総て同ポイントであるが、底本自体のポリシーに忠実に従い、私の判断で二箇所を拗音表記とした。
「素女」「そにょ」と読む。一般名詞としては白衣の女の意で、ここでは英雄神ヒロに対する仙女というニュアンスで用いられていよう。本来の「素女」は九天玄女とともに黄帝に房中術を教えた、性愛と養生を司る道教の仙女をいう。後世、その房中術と称する性書「素女経」「素女方」などが書かれた。中国古代神話の四大美女(女媧・西王母・素女・嫦娥)の一人でもある。
なお、このヒロの話は南方の「十二支考」の「犬に関する伝説」の掉尾にもほぼ同じものが載る。以下に示す。
桃太郎の話は主として支那で鬼が桃を怖るるという信念、それから「神代巻」の奘尊が桃実を投げて醜女を却(しりぞ)けた譚などに拠る由は古人も言い、また『民俗』一年一報、柴田常恵君の説に、田中善立氏は福建にあった内、支那にも非凡の男児が桃から生まれる話あるを聞いた由でその話を出しおる。それらは別件として、ここにはただ桃太郎が鬼が島を伐つに犬を伴れ行ったという類話が南洋にもある事を述べよう。タヒチ島のヒロは塩の神で、好んで硬い石に穴を掘る。かつて禁界を標示せる樹木を引き抜いて守衛二人を殺し、巨鬼に囚われた一素女を救い、また多くの犬と勇士を率いて一船に打ち乗り、虹の神の赤帯を求めて島々を尋ね、毎夜海底の妖怪鬼魅と闘う。ある時ヒロ窟中に眠れるに乗じ闇の神来って彼を滅ぼさんとす。一犬たちまち吠えて主人を寤(さま)し、ヒロ起きて衆敵を平らぐ。ヒロの舟と柁(かじ)、並びにかの犬化して山と石になり、その島に現存すというのだ(一八七二年ライプチヒ板ワイツおよびゲルラントの『未開民史(ゲシヒテ・デル・ナチュルフォルケル)』六巻二九〇頁)。
「奘尊」は「イザナキノミコト」と読む。「伊奘冉尊」と書くのが正しい(「未開民史」のルビと処理は前記通り)。]
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