栂尾明恵上人伝記 43 附絹本著作明恵上人像(国宝)
又華宮殿の西の谷に一の盤石(ばんじやく)あり、定心石(ぢやうしんせき)と名づく。一株の松あり、繩床樹(じようしやうじゆ)と名づく。其の松打本(もと)二重(ひたへ)にして、坐するに便(たより)あり。常に其の上にして坐禪す。
[やぶちゃん注:これこそ、恐らく最も知られた明恵の肖像である高山寺蔵の国宝「絹本著作明恵上人像」(伝明恵弟子恵日房成忍筆写)のあの場所である。以下に、ウィキに「明恵」にあるパブリック・ドメイン画像を配す。
ゾルレンの人明恵をよく伝え、私のすこぶる好きな絵である。この樹幹のうねりが明恵の自然の結界となっているのである。]
同年正月十二日の曉、此の樹下に坐禪す。風烈しく雪霰(ゆきあられ)夥しく降つて袖に霰のたまりければ、出定(しゆつぢやう)の時、
松が下巖の上に墨染の袖の霰やかけし白玉
此の歌如何してか天聽(てんちやう)に達しけん、御感(ぎよかん)あつて則ち續後撰集に入れられけり。
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