栂尾明恵上人伝記 34 秘蹟陸続
同年四月に、栂尾の西峰の上に一宇の庵室を構へて練若臺(れんにやだい)と號す。其の後の北に三段計り下りて、谷に一宇の庵を結びて、一兩の侍者爰に栖む。坐禪行道の外他事無し。或時は上人額(ひたい)より光を放ち、或時は脇・膝より光を放ち給ふを見る。此の外の不思議奇特(きどく)勝(あ)げて計るべからず。上人窮めて痛み給ひしかば披露に及ばず。然れども侍者の僧ども禁(とゞむ)るに處なくして、少し語り傳ふる事どもあり。或時は護法天(ごはふてん)等來りて語り、或時は辨才天來臨して謁す。
此の庵に栖み給ひし比(ころ)、學生七八人列參(れつさん)して、圓覺經(ゑんがくきやう)の圭峰(けいはう)禪師の略疏(りやくそ)四卷、上人に對して之を談ず。上人此の次(ついで)に自筆を以て、彼の疏に點(てん)を加へらる。殊に圓覺の普眼章(ふげんしよう)の、尋思如實(じんしによじつ)の觀(くわん)乃至三重法界觀(さんじゆうほつかいくわん)等により結業禪誦(けつごふぜんじゆ)す。
此の練若臺に住み給ふ事三ケ年に及ぶ。然るに山高くして嵐風(らんぷう)烈しく、涯(がけ)嶮(さかし)くして雲霧覆ひ、室内濕氣(しつけ)し墻壁(しやうへき)破却(はきやく)せり。上人此に依りて頭痛の煩ひあり。仍て是を栖捨(すみす)てゝ石水院(しやくすゐん)に移り給ふ。是に於て又圓覺經の略疏竝に修證義(しゆうしやうぎ)是を談ず。又梵網菩薩戒本香象(ぼんまうぼさつかいほんかうず)の疏竝に南山の淨心誡觀(じやうしんかいくわん)等之を談ず。