時計台之圖 萩原朔太郎 (版画2タイプ掲示)
永遠の孤獨の中に悲しみながら、冬の日の長い時をうつてる時計台―。避雷針は空に向つて泣いて居るし、街路樹は針のやうに霜枯れて寂しがつてる。見れば大時計の古ぼけた指盤の向うで、冬のさびしい海景が泣きわびて居るではないか。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年版畫莊刊「定本靑猫」より(そこでは「台」であり、「臺」ではない)。「時計台之圖」は厳密には詩題ではなく、版画のキャプションで、絵の下中央に右から左へ記されてあり、詩はその下に縦書されている。提示した版画画像は最初の薄く摺りなしたものが、
●新潮社昭和四一(一九六六)年刊「日本詩人全集14 萩原朔太郎」所収の「時計台之図」
で、二番目の摺りの極めて濃いものが、底本とした
●筑摩書房昭和五一(一九七六)年刊「萩原朔太郎全集 第二卷」所収の「時計臺之圖」
である。摺りによって甚だしく印象が極端に異なるので二種ともに掲げた。
当該の図と散文詩は、底本の「定本靑猫」では親本と同位置である、詩「大井町」と「吉原」の間に配されいる。参考までにそれぞれの詩を示す。
大井町
おれは泥靴を曳きずりながら
ネギや ハキダメのごたごたする
運命の露路をよろけあるいた。
ああ 奧さん! 長屋の上品な嬶(かかあ)ども
そこのきたない煉瓦の窓から
乞食のうす黑いしやつぽの上に
鼠の尻尾でも投げつけてやれ。
それから構内の石炭がらを運んできて
部屋中いつぱい やけに煤煙でくすぼらせろ。
そろそろ夕景が薄(せま)つてきて
あつちこつちの屋根の上に
亭主のしやべるが光り出した。
へんに紙屑がぺらぺらして
かなしい日光の射してるところへ
餓鬼共のヒネびた聲がするではないか。
おれは空腹になりきつちやつて
そいつがバカに悲しくきこえ
大井町織物工場の暗い軒から
わあツ! と言つて飛び出しちやつた。
[やぶちゃん注:ここに「時計台之圖」。]
吉原
高い板塀の中にかこまれてゐる
うすぐらい陰氣な區域だ。
それでも空地に溝がながれて
木が生え
白き石炭酸の臭ひはぷんぷんたり。
吉原!
土堤ばたに死んでる蛙のやうに
白く腹を出してる遊廓地帶だ。
かなしい板塀の圍ひの中で
おれの色女が泣いてる聲をきいた
夜つぴとへだ。
それから消化不良のうどんを食つて
煤けた電氣の下に寢そべつてゐた。
「また來てくんろよう!」
曇つた絕望の天氣の日でも
女郎屋の看板に寫眞が出てゐる。
[やぶちゃん注:太字「しやべる」は底本では傍点「ヽ」。]