我も死して碑に辺せむ枯尾花 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)
我も死して碑に辺せむ枯尾花
金福寺に芭蕉の墓を訪うた時の句である。蕪村は芭蕉を崇拜して、自己を知る者ただ故人に一人の芭蕉あるのみと考へてゐた。そして自ら芭蕉の直系を以つて任じ、死後にもその墓を芭蕉の側に竝べて立てさせた。この句はその實情を述べたものであるが、何となく辭世めいた捨離煩惱の感慨がある。
[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「冬の部」の掉尾。「郷愁の詩人與謝蕪村」はこの後に「春風馬堤曲」の章と「附錄 芭蕉私見」が続くが、実質上の選句解の掉尾でもある。]
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